「……俺には俺しかいない
俺はすてきなひとりぼち」
とうたう詩『すてきなひとりぼっち』から始まる、谷川俊太郎さんの詩集である。
そればかりではないけれど、まずは「ひとりぼっち」という言葉をテーマにして、この詩集を読んでいる。
『まなび』という詩は十八歳のときのもの。
「くるかもしれぬ
独りの時のために」
で結ばれる詩。
この「独り」、漠然と広がる寒々としたものに見えた。十八の詩人は、はるか遠くにかすかに見える「独り」を覚悟してみつめている。
いつかくる「独り」に向けての呼びかけのようにも思う。
『はな』で
「のはらのまんなかにわたしはたっていて
たってるほかなにもしたくない」
とうたい、
『すきとおる』で
「すきとおっていたい」
とうたい、
『いつか土にかえるまでの一日』で
「詩は言葉を超えることはできない
言葉を超えることのできるのは人間だけ」
とうたい、
『よりあいよりあい』で
「いきるだけさ しぬまでは」
とうたう。
『星の勲章』で、
小さくてかわいそうな星を見上げる。
「かわいそうな星 ひとりぼっちの星
まるで私みたい……そして突然気づく
この星は神さまが私にくださった勲章なのだと」
とうたう。
みんな、十八歳の詩『まなび』の「独り」の先にある詩。
どの詩の底にも「独り」がいるように思うが、続けて読めば、なんて多彩な「独り」があるのだろう、と思う。
最後の詩『じゃあね』で、
「年をとるのはこわいけど
ぼくにはぼくの日々がある」
とうたう。
これは、七十代の詩人が、過去の十八歳の詩人の呼びかけに応えているようにも思える。
「独り」は怖くないよ……
少し前に、なかがわちひろさんの絵本『すてきなひとりぼっち』を読んだ。
「ぼくはひとりぼっち」という小学生の男の子のお話だった。
そのとき、わたしは、ひとりぼっちというのは別の何かを迎え入れる入れ物かもしれない、と思った。
ひとりぼっちの子どもだったから見つけられたものがたくさんあったから。
そして、今、谷川俊太郎さんの詩集を読み、ふっと、大人のひとりぼっちは、入れ物の中身を徐々に整理し、清々しいくらいにからっぽにしていくことのように思った。
そして「ひとりぼっち」はもう入れ物ではなくなる。それこそきっと自分自身。
わたしはまだまだだけれど、いまにわたしだって朗々と
「……俺には俺しかいない
俺はすてきなひとりぼち」
と歌えたらいいと思う。