『八月の髪かざり』 那須正幹

 

 

女学生のキヨ姉ちゃんは、セーラー服にもんぺ姿で、肩からたすきがけに防災頭巾と雑嚢をかけて出かけて行った。
お母さんに買ってもらったひまわりの髪飾りは、非常時ゆえ身に着けることはできなかったが、机の引き出しに大切にしまっていた。
キヨ姉ちゃんが死んだら、あの髪飾りをもらっていい? 妹の久江さんは言う。
子どもの言葉なのだ。ほんとうにキヨ姉ちゃんに死んでほしいわけがない。


それから六〇年が過ぎた。久江さんは、周囲から人形ばあちゃんと呼ばれる。ぬいぐるみを縫うことが好きで、見に来た子どもたちに持たせてやったりもしていたから。
その久江さんが、ある人形作家の展示会で、セーラー服を着た少女の人形にくぎ付けになる。なつかしいキヨ姉ちゃん。あの日の朝、家を出たきり帰らないキヨ姉ちゃんに見えたのだ。
久江さんは、若い人形作家に指導を乞い、キヨ姉ちゃんの人形を作り始める。


久江さんの人形作りの過程と、広島に原爆を落とされた日、その後の日々の記憶とが、被さるように語られる。
丁寧な人形作りの工程の描写をゆっくりと読んでいると、まるで手の中の小さなものに命を吹き込んでいく過程を読んでいるようでもある。
顔、手足、指先や爪まで……髪の毛を植え付けていく……最後に目を……
一工程一工程がまるで祈りのようにも思える。
亡くなった人を悼むこと。亡くなった人の記憶を呼び戻すこと。
人形を作る時間は、そういうものだったのだろう。
久江さんの手許を見守っているのは、きっと読者のわたしだけではない。