『タチ はるかなるモンゴルをめざして』 ジェイムズ・オールドリッジ

タチ―はるかなるモンゴルをめざして (評論社の児童図書館・文学の部屋)

タチ―はるかなるモンゴルをめざして (評論社の児童図書館・文学の部屋)


世界でもっとも珍しい馬だといわれる蒙古野馬の群れがモンゴルでみつかった。
その野馬のうちの牡の一頭がウェールズの野生動物保護地に送られることになった。
蒙古野馬の発見者であるモンゴルの少年バリュートと、イギリス人少女キティー(野生動物保護区のジェイミソン教授の孫娘)との往復書簡で、この物語はできている。


ウェールズに送られた馬は、野馬の群れの中でも類まれな賢さ、意志の強さを持つ馬タチ。(バリュートは、タチがほどなく、野馬のリーダーになるだろうと思っていたのだが)
そして、タチは、野生保護区を脱走するのだ。タチの脱走に従ったのは、キティーの愛馬、牝の小馬ピープ。
生まれも育ちも気だても違うこの二頭が行動をともにし、いったいどこに向かおうとしているのか、
ヨーロッパ、ロシア、アジア・・・国境を越えて、名だたる動物学者たちが協力しあって、二頭の行方を追う。
二頭を案ずる二人の少年少女の手紙が、そのときどきの目撃情報やら、馬たちとの接触情報を伝え合う。
そして、二頭が、次々の苦難を越えて、タチの故郷モンゴルの原野をめざしていることに、二人はやがて知る。


ひたむきに突き進もうとするタチ。タチに忠実かつ献身的につき従うピープ。二頭の馬たちの行く末をハラハラしながら見守る。
執拗に追う学者たちに、懐疑的な気持ちになってくる。
そうまでして、ウェールズに連れ戻さなければならないのか。
モンゴルに戻してやる事はできないのか、せめて見守ることはできないのか、と。
保護とはいったいなんなのか、誰のための保護なのか、と。


まして、二人の子ども。そして、彼らの家族。
もともとこの計画に協力したくなかった子どもたちの手紙がたまらない。

>けれどもぼくには先生たちは、飼馬にしろ、野馬にしろ、山の馬のことはあまりよく知らないんじゃないかと思われたのです。もちろん、いろいろなことを知ってはいます。知識としては何から何まで心得ているでしょう。しかし、馬を観察するということ、馬といっしょに暮らすということがどんなことか、それは知らないでしょう。(中略)ぼくがいいたいのは、馬の群れがどのように感じ、どのように行動するかを理解するには、馬といっしょに暮し、その後をどこまでもついて歩き、何を考えているか、察しがつかなくてはということなのです。
最初のほうで、保護区に送る馬を選別するために協力を求められたバリュートが、キティーへの手紙のなかで明かした彼の気持ちである。
学者たちの専門性のなんて深くて、狭いことか・・・


協力なんかしたくなかった、できることなら、馬たちを構わずにおきたかったのに、子どもには何の発言権もなかった。
彼らの頭の上で、すべては決まってしまった。
そのうえで、子どもたちが愛する馬たちのためにしてやれることといったら、学者たちの計画に協力することしかなかった。
馬たちに、安全に、少しでも長く生きて欲しい、と願うなら、この計画がうまくいきますように、と祈るしかなかったし、馬たちが逃げ出したときには、彼らが一日も早く捕まりますように、と願うしかなかったのだ。
二人の子どもたちの素直さ、けなげさが、痛々しいほどだ。


馬たちは、人間たちの思惑を飛び越す。学者たちの思惑も、子どもたちの思いも、飛び越して、まっすぐに駆けていく。
彼らの走りだけが清々しい。途中にどんな障害が待っているにしろ、どんな結果が待っているにしろ、駆け抜けていけ、捕まるな、とひたすらに思いを寄せる。