『年老いた子どもの話』 ジェニー・エルペンベック

 

商店街で佇んでいた女の子は、尋ねられて年齢は14歳といったが、名前は言えなかった。身元が分からないので、児童養護施設に入れられた。
女の子は、大きい。ぷっくりとふくらんで、少女というよりも幼児の体形だ。動きは鈍重で、何を考えているのかもわからなかった。
女の子は、他の子どもたちのように、施設の外に出たいとは思わなかったし、大人になりたいとも思わなかった。女の子は、小突かれてもよかった、バカにされても、仲間外れにされてもよかった。でも、同世代の子どもたちの中にいようとした。それも、何事であれ、同世代たちの最下位にいようとした。できれば、留年でもなんでもしてこの施設にいつまでも留まりたかった。
何に対してもまったく意欲がなさそうに見えるこの子にとって、そうなるように願うことが唯一の意欲のように見えた。
この子は、いったいどんな過去をもっているのだろう。どうしたら、こんな14歳になるのだろう。
女の子の行動の中に、過去を示す片鱗が、見つからないか、と思いながら読んでいた。


ときどき、女の子は、何かを思いだす。前にもこんなことがあったような気がする、とか。それはいつだってあまり愉快な場面ではない。(そもそも、この子が何かを愉快に感じることなんてあっただろうか)
それから、ときどき、自分自身に宛てた手紙を書いていた。差出人は「ママ」になっているが、その内容は……。
この子は、ほんとうに自分の身元を忘れてしまったのだろうか、と時々思いながら、少ない情報から、女の子の過去に想像をめぐらす。


最後は、衝撃的。あまりに衝撃的で、読み方を間違えたのか、別の意味があるのか、と見返しているのだけれど。
読み進めながら、少しずつ積み上げてきたものを一気にばらばらにされたような感じ。
それでもこれまで薄々みえていたものは、そういうことだったのかもしれない、と感じることもあった。
手許に残るのは、誰に、何に対してぶつけていいのかわからない、怒り? 呆れ? 畏れ? 憐れみ? この感情は何だろう。
そのまま、進むことも後戻りすることもなく、何も望まず、何にも手を出さず、そこにいつづけること。絶望、という言葉が思い浮かんだけれど、そんなものが希望にもなりうるのだろうか。
実際に何が起こっているかということよりも、そういう気持ちや、維持する日々のエネルギーが、じっとりと重たい。