『神様のいる街』 吉田篤弘

 

手のひらに乗りそうな、この本は、三つの小さな章(物語)が集まって一つの少し大きな物語ができている。


三つのうち、真ん中の物語『ホテル・トロール・メモ』は作者・吉田篤弘さんの知る人ぞ知るの処女作だそうだ。
若い頃、戯れに作った架空のホテルのメモパッド。その用紙一枚づつに、メモのような物語のような詩のような日記のような文章を綴った。
用紙一枚にぎっしり文字がつまったページがあれば、ぽつぽつ、数語しか書かれていないページもある。落書き風のイラストのページもある。
意味があるのかないのか。
「……月が明るいのだ。いまどこかで一人の男が、狼男に変身しつつある」
「強風地帯には、遠くから飛ばされてきたいろんなものがころがっている」
「ただ一冊ではなく、
 いくつもの本を書く」
などの言葉は、メモの間から現れたきらっとした何か。この一文だけですでに完結した物語のようにも思える。


『ホテル・トロール・メモ』が、若い日に書いた「物語」であるなら、この物語を真ん中に挟んだ二つの章『トカゲ色の靴』『二匹の犬の街』(さらに『あとがき』まで)は、ずっと後になってからの、『ホテル・トロール・メモ』の日々の振り返り、といえそうだ。
美校の授業をさぼりにさぼって通い詰めた神保町の古本屋、手持ちのレコードを売り払って出かけた神戸の街のこと。
神保町のおっかない店主や、店の棚で見つけた宝物との出会いや憧れの話は、「さぼる」ことが、人生のエスケープではないことに気づかされる。
神戸で見つけたのは「無数の物語」で、二カートンの洋煙草を買うオジバの話や、「にしむら」の「コーヒーとトースト」の男、酒屋の裏の二匹の犬の話など、心に残る。


神保町にも神戸にも「神」がいる。
「神」ってなんだろう。地名の漢字あそびではなくて、出会った誰かではなくて、この一冊の美しい本のそこかしこに感じる、無数の物語に籠る何かの気配を「神さま……」と呼びたい。