『窓辺のこと』 石田千

 

窓辺のこと

共同通信』に連載したエッセイ『窓辺のこと』を中心に、2017年から2018年までの一年間の作品をまとめたものです。
この年、著者は50歳の誕生日を迎え、父を亡くした。
選ばれるお題は、身の回りの風物、美味しい食べ物、芸術、人との小さな関わり、どれも、些細なことで(でも、些細の奥は深く、時にドキッとして)、著者の窓辺は、私のこの家の窓辺でもありうることをしみじみと感じる。


「毎日ペンを持ち、だれかのいること、いたことを書いてきた。
 けれどもほんとうは、いられなくなるその日までのなんでもない時間に、現代の主題がある」
どこにでもありそうな光景、時間が、どんなにかけがえがなかったかは、きっとあとにならないと気がつかないのだろう。


自転車に初めて乗れた、子どものころ。後ろで自転車を押さえていたはずの父の手はいつのまにか離れていた。
離れた手は、著者が大きくなっても、きっとずっと著者のうしろにあったのだろう、見えなくても。
そして、
「ふりむいて、蝉の声。お父さんは、いないんだ」の、なんという寂しさ。


毎年のお盆に、庭の花を束ねて供えてきたふみこおばさん。
「ふみこおばさんの供花には、それぞれの枝葉のあいだに、お店で束ねたものにはない、ふっくらとやさしい空気があった」
花の話だけど、ほんとは花の話じゃないのだね。


「守る」ために、なんでもかんでもパスワードが必要な時代に、パスワードが守らない大切なものがある。世界中が知ることのできることばがある一方、世界中が見逃したことばもある。
「底なしの井戸に、ひとのこころが沈んでいく」という言葉の暗いこと。


「キーボードの世になって」「なぜだかおんなじ文章に、なんども会うことが増えた」
自分の言葉で書く、ということの難しさに気がつく。


特別なことは何もなくていい。なんでもない日がいい。
そう思いながら読んでいる。
だけど、いつもそこにある、これからもある、と思っていたものは、本当はなんと壊れやすいのだろう。