『よあけ』 あべ弘士

 

「よあけ」は、夕方から始まる。
猟師のじいさんと孫とが、町に毛皮を売りに行くために、川を小舟でくだっている。
途中、川にせり出た岩山に小舟をつける。山の中で一夜を過ごす。
そして、朝。霧のなかに漕ぎ出せば
「やがて霧が流れ、陽の光がみるみるあふれてきた。そのときだ、……」


そこは森で、夜になれば、じいさんと孫をとりまくのは真の闇。真の静けさ。
自然のなかの闇と静寂の世界には、人工の光や音とは別の、賑やかさや明るさがある。


じいさんが焚火をたきながら、孫に聞かせるお話は、虎の話、イノシシの話……村いちばんの猟師が体験した物語が、闇のなかに、おおらかに浮かび上がる。
闇がおりればおりるほどに、数えきれない星たちが空いっぱいに輝く。
赤や青や黄色……色とりどり。(明るい町のなかでは、星にこんなに色があることに、どうして気がつくだろう。)
やがて、ぼそぼそとした話し声はいびきに変わる。
代わって、森が森の言葉で話し始めている。
深い静寂だからこそ聞こえる音は豊かだ。
夜が明けかかった霧の中からは、ヘラジカが水草を食む音さえも聞こえる。


真っ暗な夜から、訪れる「よあけ」もひときわダイナミックだ。



読みながら、ああ、これは、ユリー・シュルビッツの絵本『よあけ』(唐の詩人、柳宗元の詩「漁翁」から)と同じ情景、これは、もう一つの『よあけ』なのだね、と感じていた。
(奥付には、作者あべ弘士さんの言葉が書かれていて、
「栁宗元、ユリー・シュルビッツ、神沢利子、G.D.パヴリーシンら先達への敬意と
極東シベリアを流れるビキン川をともに旅した北方民族ウデヘの猟師たちへの感謝をこめて」
とある。)


同じ情景……と思うけれど、描かれかたは、だいぶ違う。
ユリー・シュルビッツの『よあけ』は、墨絵の世界が色の世界に、静寂が音に満ちた世界に、最後の一瞬で手渡される、それはそれは美しい絵本だ。
それに対して、あべ弘士の『よあけ』は、墨色の中にある色、静寂のなかにある音を描き出している。
読んでいる自分が森のなかで一夜を過ごしている気持ちになる。


どちらの『よあけ』も本当に美しくて、わたしは、ふたつの『よあけ』に出会えてよかった。
シュルビッツの『よあけ』も、あべ弘士の『よあけ』も、大好きです。