『狼の幸せ』 パオロ・コニェッティ

 

舞台は、アルプスのモンテ・ローザ山麓の小さな集落フォンターナ・フレッダ。狼と風の領分と、人の領分との境界のような場所だ。
変化を好まないどころか敵視するほどの人びとが暮らす一方、やり直しの場所を求めて余所からこの地に逃れてきた人びとがいる。


物語は静かだ。何事も起こらないというわけはないのに。
山では、厳しい自然の掟のもとで、人が、動物が、迷い、命が奪われる。
山の麓で始まる恋、終わっていく恋、別の形に変っていく恋がある。
数々のドラマが起こり、その都度の緊張感もある。
それなのに、やっぱり静かだ、と思うのは、これが、ある種の「富嶽三十六景」だからだと思う。


北斎の『富嶽三十六景』の画集は、物語の中で、女から男へのしばしの別れの際の贈り物だった。
彼女はいう。
「どれも富士山の見える風景が描かれているんだけど、本当のテーマはその手前に描かれた日々の暮らしなの。人々の仕事と移り変わる四季」
男は作家。「富嶽三十六景」を礎にして、フォンターナ・フレッダの人々の暮しを見なおす。集落の人々のささやかな営みの向こうには、富士山ならぬアルプスの山々がある。それが、彼から恋人への「富嶽三十六景」=フォンターナ・フレッダ三十六景になる。
そして、この本は、まるまる、作者から読者に贈ってくれた『フォンターナ・フレッダ三十六景』なのだ。
人の暮らしの悲喜こもごもを、私は動かぬ山の立場で見ているような気がする。だから、この物語が静かだと感じるのだろう。


物語は36章+1。山を背にした複数の男女の一年間。そのときどきの自然描写や人の仕事を抜き書きすれば、12か月分の、山の歳時記ができそうだ。
峻烈な山に巡る季節(寒い夏と極寒の冬)、瞬間のはっとするほどの美しさのなかに現れ去っていく鳥や動物たち。
そして、人。
この地に残ろうとする人と、出ていく人、戻ってくる人……。
人は惑い、迷い、それでも日々生きている。
どの人びとも、山の視点から眺めれば限りなく愛おしい。
「フォンターナ・フレッダの周りには山がある。山はそんな人間たちの見る夢にはまるで無関心で、彼らが目を覚ます時も変わらずそこにあるはずだ」