『夕霧花園』 タン・トゥアンエン

 

「夕霧」とは、マラヤ(マレーシア)のキャメロン高地の密林の間に作られた日本庭園の名だ。
天皇の庭師だった男アリトモによって造られた庭で、彼の仕事の最高傑作だという。
日本軍の強制収容所の唯一の生き残りユンリンは、日本人(ジャップ)を憎んでいる。戦後、訳あってアリトモの元を訪れ、期間限定の弟子になり、「夕霧」の造成に携わる。
1950年代の話で、周囲の密林に潜む共産ゲリラが夜ごと跋扈し、人びとが戦々恐々として暮らしていた、マラヤの戦後である。


これは、三十六年後のユンリンの回想なのだ。ユンリンは引退した判事である。
アリトモが失踪してから三十六年が過ぎ、長く留守にしていた「夕霧」を修復するために、彼女は戻ってきた。
徐々に言葉を失っていく病気に侵された彼女には残された時間があまりない。
現代と、回想のなかの日々と、物語は交互に進行していく。ともに「夕霧」を舞台にして。
収容所時代を引き摺り、いまだになにかに囚われたままに見えるユンリンの解放の物語であり、伝説の庭師の謎を追う物語でもある。
アリトモとともに歴史を刻み、忘れられてもなお秘密を抱いて黙りこんでいる庭が、まるで生き物のようだ。


庭づくりにおいて、アリトモは「借景」の使い手だった。
「アリトモはあらゆることにおいて借景の原理を使いたいという誘惑を抑えられなかった。そして、ことによると、実人生にもそれを持ち込んだのかもしれない」
「池に水を張っていると庭が前より大きく感じられ、この水の鏡も「実在しないもの」を借りて、そこからさらに「実在しないもの」を創り出す借景の一形態だということ……」
だとしたら、私たち読者にとっては、物語そのものが、借景といえるのではないか。のめり込むようにして読む物語が重なりながら、借景となり、読み手の日々をより豊かにしてくれる。
それとも逆だろうか。物語が豊かであるために、夢中な読者が、物語の借景になっているのだろうか。


庭について詳細に書かれた文章が素晴らしくて、借景の森や遠い山並みまで目に見えるようで、何度もため息をついた。実際に、マレーシアの山中深く、「夕霧」という孤高の庭が、存在しているように思えて。