『ワンダーランドに卒業はない』 中島京子

 

作家・中島京子さんの「わたしを育てた本たち」18冊は、どれもよく知られた児童書の名作である。読んでいると、子どもの頃の読書の楽しみを思い出す。本たちは、どんなに毎日を豊かにしてくれただろう。
でも、この本は子どものための読書案内ではなく、大人だからこその楽しみ方、読みどころを知らせてくれる。
大人になってからの、再読、再々読は、子どもの頃には気がつかなかった新しい扉を開いて見せてくれる。


よく知っている本と思っていたけれど、中島京子さんの文章を追っていると、あの本のどこにそんなことが書いてあったのだろう、と慌てたり、あの場面はそんな風に読むのか、読めるのかと、本の全く新しい横顔に気づかされる。
そして、これは読み直さなくちゃ、と思う本が増えていく。


心に残ること、少しだけメモしておくなら(本当はもっとたくさんあるけど)


くまのプーさん』の(石井桃子翻訳の)ことばたちのおもしろさ。
「プーたちの世界では、ことばそのものが跳ねてあそんでいる」


点子ちゃんとアントン
息子が母の誕生日を忘れたくらいで、なぜアントンのお母さんはあんなに嘆いたのかという疑問に、中島京子さんはこう考える。
「お母さんは息子が自分の誕生日を忘れたという事実の中に、母子二人だけの世界の終わりを感じ取ったのだ」
そして息子に腹を立てる。……怖い。


『宝島』
「ジョン・シルバーとジム・ホーキンスは似ている」なんて、私はこれまで思いもしなかったけど!


『モモ』
モモやマイスター・ホラと、灰色の男たちとが、それぞれ体現しているのは、「善」と「悪」ではなくて、「幸福」と「不幸」なのだ、という話はすごく心に響いた。
灰色の男たちが体現する「不幸」とは、「命を楽しまない、楽しめないことからくる圧倒的な不幸」
「灰色の男たち」は「悪」を体現するものではないから、「善」の側に立って現れることがある。
「それは、とてもとても気をつけなければならないこと……」


ゲド戦記
最初の三部作が出版されてから18年後に『帰還』に始まる残りの三部作が書かれたことについて、
「過去に描いた完璧な英雄譚を、こわして作り変えなければならないという、強い気持ちに駆られて書いたのだろう」
自作(それもゆるぎなき傑作)をあえて壊して作り変える。
それは、ル・グィンが残した贈り物だという。
そして、こういう読み方ができるよと教えてくれたことは、著者・中島京子さんからの贈り物と思う。