『字はうつくしい』 井原奈津子

 

手書き文字といえば、書写の教科書を思い浮かべながら、上手・下手しか判断の基準がなかった私には、この本は、本当に目から鱗だった。


美しい手書き文字。
教科書の字の源流であるという書の達人、王義之の1300年前の文字も出てくれば、忙しい新聞記者の殴り書きの文字も出てくる。殴り書きにもそれぞれ個性が出るし、一文字一文字に目をとめれば、図形としての面白さに気がつく。
丸文字、長体ヘタウマ文字、ギャル文字、と手書き文字の流行を年代順に追いかける試みも、すごろくみたいで楽しい。
伝えたい情報や相手により変わる書き文字、それから、一人の人の文字が、年齢とともに変化していくのを見るのも面白い。


ある喫茶店の手描きメニューは、「可憐で、胸がキュンとする魅力がある」という。それは、丁寧に書かれた文字の間に、ちょっと崩れた文字が混ざっているからだという。その崩れ加減が、心地よい、絶妙なバランスなのだと。


800年前に写された藤原定家の『更科日記』の文字も出てくる。
「筆のなめらかな線のなかに、時々しりもちをついているような筆だまりの「クセ」がアクセントになっているのか、目が喜ぶ感じがして、見ても見ても飽きないのです」
畏れ多い古筆の文字が、突然親し気で楽しいものに変わる。


あるデザイナーが指定紙というものに書いた、色も大きさもさまざまな文字を集めて、一枚の紙に貼り合わせた写真をみたとき、絵地図のようだ、と思った。
著者は「遊園地」といっている。
「楽しく見える理由は、字が遊園地の機関車に乗っているようにガタゴトしているせいかしら」と。


マンガのセリフに書かれた手書き文字をコピーして切り貼りした写真もある。黒一色の文字がぎゅうぎゅう詰まっているのだけれど、太さも大きさも向きもバラバラ。
著者はいう。「走っても走っても疲れない、元気が爆発したような文字」「遊んでも遊んでも終わらない、小学生の長い夏休み」
そう言われて、もう一度写真をみれば、文字たちの間から、思い出のなかの夏の音や声が聞こえてくるようだ。

 

あちらからこちらから、思いがけない扉が開いたような解放感を味わっている。
ずっと聞こえていた周りの音が、それぞれ名前の違う鳥の声だと気がついたような感じ、といったらいいだろうか。文字の見方が変わる。