『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』 小野寺拓也、田野大輔

 

ナチスは「良いこと」もしたのか?  定期的に繰り返される議論だそうだ。


ヒトラーは民主的に選ばれた、当時のドイツ国民は熱狂的にナチを支持した、本当だろうか。そこには、いくつもの背景、いくつもの但し書きをつけなければならない。本当か嘘か、あっちかこっちか、と二元的に言い切ることの乱暴さを知り、複雑な問題を単純化することで、肝心なことが見えなくなってしまうことの危うさを考えていく。良い悪いについても。


そうして、ナチスがしたといわれる「良いこと」について、検証していく。
経済政策、労働政策、家族政策、環境保護政策、健康政策など。
これらの「良い」政策の本当の狙いは、政党のプロパガンダであり、目眩ましであり、目指すところは戦争を戦い抜く民族共同体の構築であった。
それらが成功したかといえば……そうとはいえなかった(うまくいったように見えるものは、政策によるものではなかった)
一見「良いもの」に見える政策は、皮肉にもみえる。環境問題については「戦争は『究極の自然破壊』に他ならない」し、「動物はそれ自体のために保護される」という理想を掲げた動物保護政策には、ではナチスユダヤ人をどのように扱ったのか、と尋ねたくなるのだ。
一つ一つの政策や、それに対して人々がどう受け取ったかを読んでいると、心がざわざわしてくる。過去の話ではないような気がしてくる。少なくても、ちょっと後ろめたいことを進めたいときに、調子のよい「良いこと」をいっぱい書いた旗を掲げて進もうとするの、いまも変わらないみたい。


「近年インターネット上では、『ナチスは良いこともした』と声高に主張したがる人が増えている」そうだ。
ナチスの悪行を繰り返し教えられてきたがゆえに、それを否認しようとする欲求につき動かされる人々。
「斬新」な主張に魅力を感じる人々。
それから、ナチスの「良い政策」をことさらに強調することで、自分たちの言動を制約する「正義」や「良識」の信用を貶め、その「抑圧」からの脱却をはかる。
などなど。
ナチスの問題だけに関わらず、思い当たることもある。何かで、これが正論、とあまりにきっぱりといわれたら、ほんとに?と疑いたくなる。そういう時に「真実は真逆だよ」と極論を囁かれたら、あまり考えもせず「ほらね、そうだと思った」と単純に乗ってしまいそうな自分に思い当たり、はっとする。一言一言が他人事ではなかった。