『黒と白のあいだで:翔の四季 秋』 斉藤洋

 

ジャーマンシェパードのトラウムと毎日散歩をしていた小学五年生の翔の夏休みの話が、前作『かげろうのむこうで: 翔の四季 夏』だった。
そして、今は秋だ。
校内では窃盗事件、町内では連続して火災が起きている秋。大人とは違う目の高さを持つ子どもだからこそ気がつくものもあるし、解決方法もある。
だけど、それですっきりとおしまい、とならないことが心に残る。問題は、むしろその先にあるのだろう。


前回同様、翔のまわりにほんの少しだけ不思議なことが起る。
翔の友人の涼は、あいかわらず、周りの誰も気がつかない霊が見えている。
最近は、翔も変わったことを経験している。目の前で見えているものや起っていることにより当然聞こえるはずの音が、少し(時にはかなり)遅れて聞こえることがあるのだ。
「世界は見えたままじゃない」という言葉が出てくる。「世界はきこえたままじゃない」とも。世界が見えたまま、きこえたままじゃないなら、正しさの定義も変わってくる。正義ってなんだろう。


涼や翔を通して、わたしたちは、見えたままじゃない、きこえたままじゃない、ということに少しだけ注意して、物語の中の世界をぐるりと見渡す。
涼が言う「それで、おまえ、こまってるの?」という言葉には、ものごとには自分には見えなかった側面がいろいろあることに気づかされる。


翔の目線でゆっくりと進む物語は、途中で、さまざまな問いを読者に投げかける。答えは一通りではないから、考えなければならないのだ。


前回同様、まるで端役のように登場する動物が、物語のなかで染み入るような大きな役割を果たしている。偏った正義を責めることもせず、もくもくと日々を過ごす小さき者たちの代表のようだ。