『丘』 ジャン・ジオノ

 

 

レ・バスティッド・ブランシュは、丘と丘のあいだの窪地にある小さな集落。
四軒の家に小屋一つ。総勢13人(12人+1人)が住む。
「泉からふんだんに湧き出てくる水が、ふたつの水源となって歌う。岩から落ちてくる水源の水を、風が撒き散らす。二本の水の流れは草の下であえいでから、合流し、イグサが茂っている沢を流れていく。
風がプラタナスをざわめかす」
牧歌的な風景描写が続き、心地良い文章。と思っていたが……。
最初の不幸は、集落をうるおしていた泉の水がある朝、すっかり枯れていることに、気がついたことだった。そして、次々に、不穏な出来事が続く。


レ・バスティッドを潤していた親し気な丘が、突然、悪意を向けてきたみたいだ。
「丘に対しては、馬の要領で扱わねばならない。手厳しくやるんだ。(中略)俺たちがしっかり見張っていない方角から俺たちに攻撃をしかけてくることだってある」
人々がこんなふうに話していた頃は、まだ、暴れ馬を飼いならすように、丘も馴らすことができると思っていたのだ。
甘かった。
丘は強大な力を振るい、この小さな集落を握りつぶすつもりでいるのか。
その圧倒的な力。
必死に集落を守ろうと闘う人々は、あまりに小さい。


事の始まりはなんだったのだろう。
ゴンドランの義父が死にかけて床についたことだろうか。
ジョームが猪を撃ち損じたことだろうか。


13人の人々には、それぞれの暮らしがあり、思いがある。
そのなかでことに、複雑な気持ちで印象に残るのは、人を憚りながら逢いにいく、あの人の姿だ。
それは、不気味で、怖ろしくて、悲しくて、でも、幻想的で美しかった。
あの人のことを思いやる周囲の言葉はどれも、優しいけれど的外れ、と感じる。
最後まで語ることのなかったあの人の胸の内には、ほんとうは何が眠っているのだろう。


やがて、気がつく。自分たちが相手にしているものの正体に。人々は集まり、話し始める。
わたしは、ここが怖かった。語る人の言葉が怖ろしかった。
「吹きつけてくる風に対して小さなランプが消されないように守るのと同じで、いま俺たちは守らなければならない生命がある」
この美しい説得の言葉は本当は恐ろしい。ここで納得してしまう自分が怖かった。ここで怖いと思ってしまう自分にも自信を持てなかった。
いったい「ほんとうの」敵はどこにいたのだろう。


自分のものだけれど、自在に操縦できるわけではない自分の思いは、いつ、何がきっかけでタガが外れて暴走し始めるかわからない。