『ク スクップ オルシペ ――私の一代の話』 砂沢クラ

 

明治三十年生まれの砂沢クラさんは、村おさ(コタンコロクル)の孫で、十歳になるまでは、祖父の立派なチセ(家)で可愛がられて暮らした。和人によって豊かな土地も家も奪われ、「土人保護規定」の名のもとに荒れ地に追われるまでのことだった。
その後は(差別、貧困、DVなど)苦労に継ぐ苦労の、クラさんの一代記である。
もとになっているのは、この本の出版の二十年前くらいから六年かけて書き溜めた二冊のノート「私の一代の話」と「祖先の話」で、アイヌの伝統がどんどん薄れ忘れられていく中で、孫たちに伝えたいことを書き残そうとしたものだそうだ。


繰り返される差別に対しては、泣き言や恨みごとをほとんど書かない。
心に残るのは、アイヌとして生まれ、アイヌとして生きた人の誇りと矜持だ。
アイヌはどこから来たのでもない、もともとこの日本の国、ポイヤコタン(小さい島の国)に住んでいたほんとうの日本人なのです。」


猟を中心にした山の人の暮らしは、おおらかだ。
幼い時には父、結婚してからは夫、どちらも、猟にいくときには妻や子を伴っていった。
何日も山に籠って猟をするために、山の中に簡単な小屋を建てるところから始まる。
ことに何度もの熊猟について、始終事細かに書かれていた。クラさん自身が(男なら)鉄砲かついで先頭立って猟に出たかったのではないか、と感じた。
獲物は山の恵みであるが祀るべき神であった。生きることと信仰とが固く撚り合わさった糸のようだ。
子熊を手元で実の子どものように育てた話も、後には(戦争のため)「熊送り」しなければならなかった話も心に残っている。
山の神たちに守られ、明日の猟を占いながらの細々とした自給自足の暮し。子を簡単に奪われ、危険と隣り合わせ、ゆとりなんかなかっただろうに、のびやかで明るく感じられるのはなぜだろう。


たくさんの歌(伝説)が聞こえるような気がする。
ユーカラアイヌ叙事詩)、シノッチャ(叙情曲)、ウコヤイイタッカラ(自らの身の上話)……
歌う。聴く。それは神への捧げものであり、日々の慰めでもあったのだろう。


各章に添えられたクラさん自身による素朴な挿絵がよかった。