『一緒に生きる 親子の風景』 東直子

 

『母の友』に連載した子育てエッセイ。
自分が子どものときのことや、親になり子どもと過ごしたときのことなど、恥ずかしさや申し訳なさ込みで、懐かしく思い出している。


大人の集まりに付き合わされた子どもの、
「あの、よくわからない退屈な時間は、貴重だったように思う」
のように、つまらないと思っていたものが、実は宝だった、と気がついたり、懐かしさだけに収まらない発見が、あちらにもこちらにもあった。


詩や短歌、物語に綴られた子どもたちの気持ちもとりあげられている。
物語のなかには、こんな勿体無い場面がさりげなく(読み飛ばしてもいいんだよ、と言わんばかりに)置かれていた。
斉藤倫さんの『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』から引かれたのは、「なにかある」という、ざっくりとした「かんかく」。
「大人に比べて言葉の数が少ない子どもは、「なにかある」の空間は、なおさら広いのだろう」
に立ち止まる。
子どもが言葉をひとつづつ覚えていくのを眺めているのは嬉しいことだったけれど、そのたびに、狭くなっていく空間もあったのだろう。それはもう確かめようもないけれど。


「なんとか泣きやませようとするのだが、なにをしても一向に泣きやんでくれなかった」という言葉に、泣きやまない子どもを抱いて、子どもの気持ちよりも周囲の目のほうが気になって焦っていた昔の自分が蘇る。
子どもを抱えた親が「不要な脅しに怯える必要などないのだ」「大丈夫」って思えるような空気がほしいと思う。
育児真っ最中の大人たちに、さりげなく必要な手を差し伸べてあげられる人は素敵だけれど、あえて手を出さず、そっとしておいてあげることも大切と思う。
私自身がそういう空気の中にいたい、と思うから。


心に残る言葉を少しだけ。
「整えられた娯楽ではなく、自分の身体で感じて探し出す楽しみを味わえる『道草』。」
「私たち大人は、この子たちがこれから大人になっていく中で、なんども「今日はいい日だ」と思える日をできるだけ増やせるようにしてあげなければいけない」


短歌
「はんかちをひろげてあそぶましかくのこんいろ世界にはなびら五つ」東直子
「親は子を育ててきたというけれど勝手に赤い畑のトマト」俵万智
「幼子をわが寒さゆゑ抱きやればその身さやさやと汝は喜ぶ」高野公彦


塩川いづみさんの挿絵、とてもよかった。表紙が特に好き。