『庭とエスキース』 奥山淳志

 

岩手県の雫石から、北海道の新十津川で自給自足を営む井上弁造さんのところへ、著者は、14年間(弁造さん78歳~92歳)、通い続けた。弁造さんの生き方に惹かれて、弁造さんの写真を撮るためだった。弁造さんを見送るまで、弁造さんのもとで撮った春夏秋冬の写真を挟み、弁造さんと語らった14年間の思い出を綴る。


広い庭の一隅に建てた丸木小屋に暮らす弁造さんである。
庭の入口の池、広葉樹の森、針葉樹の森。
春夏秋冬、さまざまな場所から撮られた庭の写真の、不自然に作りこまれることのない美しさ。何度も眺めている。
「あまりに自然で勝手に生えて来たとしか思えない」樹々は、一本一本、弁造さんの手で植えられたものだった。
弁造さんが暮らす丸太小屋も、昔、弁造さん(と弟)の手で建てられた。
小屋の中心にはイーゼルがあり、いつでも描きかけのエスキース(下描き)が乗っている。
庭も絵も、弁造さんのライフワークみたいなものだ。


オンコ(イチイ)の若木は何十年か先にちょうどよい棟木になる。唐松の林は、何十年か先に家を建てるほどに育つ。木々の世話をしながら、弁造さんは語る。
何十年後の未来に自分がいないことは想像もしていなかったのではないのか。
画家になる夢を家族のために諦めた若い頃があり、八十代の今、本気で「画家になりたい」と願って画架に向かう。
今だけが、自分の目のまえにある。未来をあれこれ想像して怯えるよりも、今を地道に生きていく感じだろうか、と励まされるように思う。
絶筆は、「犬と少年」のエスキース。犬のモデルは、弁造さんに懐いていた著者の犬さくらだろうか。少年は92歳の弁造さん自身だったのではないか。


著者と弁造さんのたくさんのやりとりは、冗談に始まり冗談に終わることが多い。ときには喧嘩もした。まじめな話もあるが、会話の大半は、夢想家の空中楼閣のようにも思える。
でも、一連の会話の向こう側に、素朴で正直な人柄と、来るものを拒まずに受け入れるおおらかでポジティブな生き方が覗いている。


「健康に留意するのは死ぬときにうろたえないため」
「自給自足が惨めではいかん。自給自足は喜びなんじゃ」
そして、最晩年の「ああ、いい人生じゃったなあ」

 

木々に囲まれて、ただ自然の音だけが友で、弁造さんと著者、それから著者の犬さくら。
生きているのは三者だけかと思うほど、静かだ。


弁造さんの「生きる」を見つめ続けてきた著者の語りは、弁造さんの死によって幕を閉じると思っていた。
ところが、今、音のない世界が、賑わい始めたようではないか。
近くに住む弁造さんの妹一家や、友人たちが、北海道で著者を待っている。それぞれが語る、それぞれの弁造さんがいる。
「(弁造さんは)穴を掘るのが好きな男」という言葉があった。
弁造さんを失った著者の心の穴は埋まることはない(埋めたいとも思わない)というけれど、弁造さん由来の新しい沢山の穴に出会うのは、うれしいことかもしれない。


「さくらが雪の上に座っていた。顔は僕のほうではなく、弁造さんがいつもやって来る庭の入口に向けられている」
表紙の写真を見返している。(季節が違うけれど)落葉の上にすわる犬は、誰かを待っているように見える。