『野原』 ローベルト・ゼーターラー

 

パウルシュタット市の墓地に「野原」と呼ばれる区画がある。そこにある古いベンチに男がいつも腰かけている。
男は、墓地に眠る死者たちが語る声を聴いているのだ。
この本のなかには、男が聞いた三十一人の「声」が収められている。


静かな田舎町、ほとんど事件もないような田舎町である。この町で、ささやかな暮しを営んだ人たちは、在りし日の思い出を語っているのだ。
忘れられない一瞬の印象や、思いを残す人へのメッセージや、今だからこそ明かされる秘密もある。
わずか数行の語りであっても、亡くなった人が間違いなく嘗てはここにいて、それぞれの人生を生きていたこと、長い人生であれ短い人生であれ、言葉の向こうには言葉以上の、容易ならぬドラマがあったことを告げている。


地面の下は、なんて賑やかなんだろう。死者たちが語れば、その声は生き生きとその人や回りの景色を甦らせる。そして、現世の町に暮らす生者たちの日々から、色や音が消えていくように感じられる。
いったい、どちらがほんとうの人生なのか、と考えてしまうほどだ。生と死の境界なんて、ほんとうにあるのだろうか、と。


それぞれに感慨深い声たちのなかで、最も心に残る声をひとつだけ選び出すなら、わたしは、「スーザン・テスラ―」の声をあげたい。
最後の時をサナトリウムで過ごした彼女は、そこで出会った「愚痴っぽくて知ったかぶりばかりする小柄なおばあさん」ヘンリエッテとの67日間の思い出を語るのだ。「人生で得た最高の友だち」として。スーザンの語りは、ヘンリエッテをわたしの友だちにもしてくれた。
「しっ! ちょっと静かにして! 向こうにあるあの雲が見えない? ここからだと、まるで静かに悠々と漂っているみたいに見えるでしょ。でもね、じつは空をものすごいスピードで進んでて、周囲はどこも、ガラガラ、ゴーゴーってすごいのよ。あたりの木はもう気がついたみたいね。雲にお辞儀をしてるでしょ」
ヘンリエッテは、雲だ。生きていたときも、亡くなってからも。