『肉体の悪魔』 ラディゲ

 

「僕」による過去形の語りのせいか、郷愁を誘われるようだ、と思いながら読んでいると、突然、厭世的で冷笑的な言葉にぶつかって、ひやっとする。


「僕」は15歳で、中学生である。学校側から特権的な待遇を受けるほどに聡明な少年であるが、彼は同級生を見下しているし、何のためらいもなく周囲の大人たちを利用する。少年に手玉に取られ、(困るよりも、たぶん喜んで)利用されてしまう周囲の人々に苛立ちながら、(きっと姿も美しい)少年の不気味さを寒々と感じていた。


15歳の少年「僕」は、人妻である19歳のマルトと恋に落ちる。
限られた二人きりの甘やかな楽園は、戦争の時代という不安な背景を背負って、一層、限られ、閉じられた園のようだ。
彼は誰に恋をしていたのだろう。本当は自分自身しか愛することができなかったようだ。彼の楽園に入ることができたのは、実は彼一人だけだったのではないか。
恋人が徐々に自分の頭で考えることができなくなり、少年の奴隷、操り人形のようになっていく姿はあまりに惨めだった。そして、恐ろしかった。


最初のほうに出てくる、町会議員宅の屋根の上の狂った女中の挿話が心に残っている。物語全体の縮図のようにも思えるのだ。
屋根の上の女中、見守る野次馬、手も足も出ない救助者たち、家の窓という窓を閉ざして沈黙する家人たち。あれらは物語の誰に似ているだろう、と思って。


極端な幼稚さと聡明さ、未熟さと早熟さとを、折々の丁寧な心情の描写で、浮かび上がらせていく。少年の姿の中に押し込められた化け物が通る。それも、どんどん大きくなっていくようで、ぞっとする。大人から守られる、子どもの園の住人の間に要領よく紛れ込んで。
だけど、どこまでも郷愁を帯びた美しい文章なのだ。