『かぜは どこへいくの』 シャーロット・ゾロトウ(文)/ハワード・ノッツ(絵)

 

「きょうは、いい日でした」と一日を振り返れるのは、特別なイベントがあったわけでもない、ごく普通の日。この絵本の「おとこのこ」みたいに。
この言葉に、ほっとする。身も心もゆったりとくつろいで。
一日がおわろうとしている。


「おとこのこ」は寝かしつけにきてくれたおかあさんに、
「どうして、ひるは おしまいになって しまうの?」
と聞く。
「よるが はじめられるようによ」
とおかあさん。
「だけど、ひるが おしまいになったら、お日さまは どこへ いっちゃうの?」
おとこのこの「どこへ……」がつづいていく。


「かぜは やんだら、どこへいくの?」
「たんぽぽの ふわふわは、ずっと とんでいって、どこへ いくの?」
「みちは、ずっと いって、みえなくなったら、どこへいくの?」
「山は……」
「なみは……」
「おふねは……」
降った雨、雲、汽車……みんなどこへいくの。
おとこのこの問いかけは、だんだん、とおくに広がっていくようだ。


それは、問いかけというよりも、確認だ。
ひとつずつ、ひとつずつ、
「どんなものでも」
「おしまいになってしまうものは、なんにもないの。
べつのばしょで、べつのかたちで はじまるだけのことなの」
であることを確認し、安心して、眠りにつく。それは、いい一日だったきょうをしまい、新しい明日を無事に開くための平和な就眠儀式のようだ。


どんなものも「ぐるぐる ぐるぐる つづいていく」のだと気が付くことは、ほんとうは世紀の大発見だと思う。
だけど、こんなにもゆったりと、「いい一日だった」という言葉とともに、からだに沁みていくような了解の仕方は、つくづく心地よい。


シャーロット・ゾロトウの詩は平易で美しい。
ハワード・ノッツのペン画は素朴でやさしい。
穏やかな夕べだ。


わたしも、この一日のおわりに、絵本をゆっくりと読み、ゆっくりと閉じながら、平和な眠りを迎えたい。
あたらしい一日がいい日でありますように。