『チャンス:はてしない戦争をのがれて』 ユリ・シュルヴィッツ

1939年9月1日、ドイツの爆撃機が、突然、ポーランドの首都ワルシャワを攻撃し始めた。
当時四歳だった作者ウリの長い旅が始まる。(作者は、絵本作家ユリ・シュルヴィッツ。ユリという名は、本当はウリ、と発音するそうで、この本でも、ウリになっている)
ウリの一家はユダヤ人だった。
1939年にソ連に出国した父母とウリは、難民となって各地を転々とした。戦争が終わってヨーロッパに戻ってくる1947年くらいまでの軌跡を辿る。


親子がポーランドを出国しようとしたときに、親族は危険だといって反対した。(だけど、残った親族は……)
出国先のソ連では、欲しかった市民権を得られなかったために、一層の苦難を強いられた。
岐路に立たされたとき、どの道を選ぶべきだろうか(選ぶ事さえ出来ない事も多いが)
どちらの道がより歩きやすい道だっただろうか。
ウリの一家は、より厳しい道を歩かざるを得なくて、そのために食べることもままならなかったし、何度も死にかけた。家族を失いかけたこともあった。
だけど、生き延びた。(もしも、よさそうに見えたもう一方の道を進んでいたら……)
後に振り返ってみれば、こういうことだった。
「つまり、一家三人が生きのびることができたのは、自分たちの選択とはほとんど関係がない。運命を決めたのは、全くの偶然だった」


心に残ること。
戦争が終わって苦心惨憺、辿り着いた故郷ポーランドで待っていた、まさかの仕打ち。
「戦後のポーランドでは、ユダヤ人の命は軽く、ホロコーストを生きのびてもどってきた人たちは歓迎されない。」


ウリは小さな頃から絵を描くことが好きで、得意だった。
長い苦しい旅の間(その後も)いちばん大切な友だちは、絵だった。
「絵のおかげで、ぼくは、現実や空想の世界を描くことができた。おもしろい人や悲しい人、若者や老人、通りや町、山や海を描くことができた。そうやっていくつもの世界を生み出せたのだから、さみしがるひまなんてなかった。」
語られているのは、よくまあ生き延びて成長した、と言いたいほどの困難な子ども時代。それなのに、随所にユーモアを感じるのは、ウリの傍らにこの比類なき「友」があったせいと思う。
ウリの絵に相当するような、(ほかのどんなものでもいい、その人にとっての特別な)友が、自分の中や傍らにいて、一緒に歩いてくれるなら、道中の景色も変わって見えるかもしれない。


豊富な挿絵(子どもの頃に描いた絵なども含めて)や写真が挿入されていて、それも嬉しい。