『クリスマスの幽霊』ロバート・ウェストール(再読) 

 

イブの日の午後。
父さんが忘れた弁当を「ぼく」は工場に届けに行く。それは「ぼく」の大好きなお使いだった。
父さんは化学工場の職長だ。
工場には古いエレベーターがあるが、初代経営者の幽霊が出るとの噂がある。幽霊を見ると工場で死人が出ると。
この日、エレベーターに乗った「ぼく」は、サンタのような白いひげを生やした幽霊を見てしまう。
さて……。


本編『クリスマスの幽霊』(坂崎麻子訳)と、あとがき替わりの(というにはとても充実した)エッセイ『幼いころの思い出』(光野多恵子訳)とで、この本はできている。
『クリスマスの幽霊』と『幼いころの思い出』とが補完しあい、「ぼく」(エッセイでは「わたし」)ことウェスト―ルの幼いときの家族や町のようす、「ぼく・わたし」をめぐる人々の様子をいきいきと浮かび上がらせる。自分を大切にしてくれた人びとの思い出や、憧れ・喜びの記憶を辿ることは、まるでクリスマスプレゼントみたいにうれしい。


お父さんの工場のことは、『幼いころの思い出』のなかで、大好きだった『指輪物語』の世界に喩えられている。父の工場に、忘れものを届けに行くことは(意地悪な守衛を出し抜く所から始まって)指輪物語に匹敵する大冒険だったのだろう。
父は、「ぼく」にとって「灰色の魔法使いガンダルフよりも、もっとふうがわりな、油まみれの魔法使い」(『幼いころの思い出』より)だった。
「油まみれの魔法使い」って、大好きな父への最大級の賛辞だ。父を手放しに讃える少年の誇らしさがほほえましい。
そして、物語の中で、幽霊を見たことが発端になり、「ぼく」のおつかいは、文字通りの冒険になる。


幽霊話だけれど、クリスマスを迎える町の雰囲気や、家族の特別な忙しさなどが、そして、進んで手伝いたい子どもの喜びが、伝わって来る。
そうした背景の中に浮かび上がる、硬質な工場の様子は、『幼いころの思い出』に書かれていたように、確かに『指輪物語』の暗黒の都市モルドールを彷彿とさせる。似ているけれど、その暗さまで含めて、(「わたし」が感じていたように)怖ろしいよりも、わくわくするミラクルワールドに思えてくる。冷たいよりもあたたかいと感じるのは、工員たちの子どもに対する眼差しのせいだろうか。
町と家となかなか眠らない工場と。
全部ひっくるめて、暗がりの中に灯りがともり、ちかちか輝くような、嬉しいクリスマスの幽霊譚だ。