『長距離走者の孤独』 アラン・シリトー

 

八つの作品をおさめた短編集。
表題作『長距離走者の孤独』を読みたくて手に取りました。

* * *

長距離走者の孤独』

「感化院へ送られるとすぐクロスカントリー選手にさせられた」というスミスは、まだほかの連中が眠りこけている早朝、マラソン練習許可証を手に、表門から走り出す。
走りながら、彼はさまざまなことを考える。浮かび上がってくる光景は、彼の過去のきれぎれの描写だ。
彼は、走っても走っても余力があるくらいに速い。彼は期待されたホープである。
クライマックスは、感化院対抗のクロスカントリー競技会である。周囲の期待を背負って駆けだす彼は、ある計画を胸にほくそ笑んでいる。

感化院の院長が、少年たちに望む「誠実」という言葉が、語り手によって、嘲りを込めて繰り返される。
上下関係の最たる世界(スミスの回想する塀の外も、あまり変わり無さそうだけど)。
下は上に絶対服従しかない場所で、上が下に要求するものに、「誠実」という言葉はありなのだろうか。真逆の現実を覆う隠れ蓑だろうか。
政治家が口にする「丁寧」という言葉の使い方とよく似ている。
不誠実な「誠実」を、粉々にひきさいてみたい。

スミスが走りながら繰り返し確認している侮蔑と怒りの間のあちこちに混ざる、彼が走ることを全身で喜んでいる描写が好きだ。
ああ、こんなふうに気持ちよく風を切って駆け抜けていけたらすばらしいのに、と思う。

* * *

階級格差の厳しい社会の、労働者階級の人たちを主人公にした八つの作品からは、労働者たちを見下し、平気で踏みにじろうとする小市民たちへのくすぶるような怒りが覗く。それから、労働者たちの暮すこの町への愛着、共感や、むしろ、下から上に向かって射す光だとか、落ちても弾むような弾力に、はっと気がついたりする。
どの作品もよかったけれど、表題作のほかに、『漁船の絵』『フランキー・ブラーの没落』が、しみじみと好きだ。