『夏』 イーディス・ウォートン

 

ニューハンプシャー州の小さな村ノースドーマーは、慣習やしきたりなどに囚われた閉鎖的な村である。


この閉塞的な世界は、ここに住む人びと、ひとりひとりによって作られ、日々、強固になっているのではないか。
それは、公会堂の式典での、ある人の演説の一端に表れている。
「……わたしたちのなかには、どこかほかの場所での暮しに失敗して、生まれ故郷に戻った人もいます」
「……いずれにしてもわたしたちは事がうまく運ばず……夢見たことは実現しませんでした。」
みんな喝采をしていたっけ。
「もっと大きな都会で試しにやってみたことそれ自体は……ノースドーマーをもっと大きな場所にするのに役立ってきたはずです」
ほんとうかな。
夢破れてこの地に舞い戻った人たちが、そのことを美化し、「よき経験」と呼ぶために、この村をますます、閉鎖的な場所にしているのではないか。外に出ようとする若者たちの失敗をむしろ望み、手ぐすねひいて待っているように、思えてしかたがないのである。
底なし沼のような村だ。


主人公は、財産どころか自由に使える小金も持たない女性である。自分が「山」(被差別地域)の出身であることを他人も自身も片時も忘れない。(彼女の名前チャリティは、彼女を引き取った後見人の善行から名づけられたのだ。この一事をもってしても、主人公の息苦しさが思いやられる。)
主人公は、ある事情から、育ての親である後見人ロイヤル氏(村の名士)を軽蔑し、嫌っている。
誇り高く自立心のある主人公であるが、うんざりするこの環境から自由になる手立てはいまのところ皆無なのだ。
まるで、狭い箱のなかに閉じ込められて、今にも息がつまりそうになっている主人公チャリティである。
彼女の箱をそっとノックしたのは、都会からきて、この町に滞在中の若い建築家ハーニーで、二人は、あっというまに恋に落ちるのだった。


ハーニーとチャリティがともに過ごす夏の日の情景は、一刻一刻を切り取りたいくらいに輝いていて、だから余計に、そこかしこにちらりほらりと混ざりこむ不穏な描写、気配に、ハラハラしないではいられない。
夏は命ある何もかもが美しく、同時に蒸し暑い空気は、ものを腐らせ、このうえなく不快だ。


読んでいるうちに気がついてくることがある。
狭い箱の中に閉じ込められていたのは、チャリティひとり、と思っていたが、もしかしたら恋人のハーニーもそうだったのかもしれない。
別々の箱の中に入ったままで、ぶつかったり、擦れたりしながら、ごそごそと出口を探しているだけだったのかもしれない。
箱の外にあるのは世間だ。外から見たら、それはなんと滑稽な眺めだったことだろうか。
先にあったのは成長だろうか。屈服だろうか。