『眠りの航路』 呉明益

 

「ぼく」の睡眠のリズムが急に変わった。
そこから、眠りとはいったい何なのだろう、また夢とは何なのだろう、と考え始める。


1943年、三郎(創氏改名による日本名)は、13歳の時、日本の労働力不足解消のための日本内地の戦闘機工場での労働に志願する。
彼は、天皇の赤子となるため、日本語を夢中で学び、台湾語と父母にもらった本当の名前を忘れた。
日本は敗戦を迎え、約束された高等工業学校卒業の証明書は得られず、昨日までの二級国民は、いきなり戦勝国民に変わった。
さまざまな人たちが(たぶん天皇まで含めて)「仮面」を被っていたことを知るけれど、だからといって、それらをそのまま受け入れられるわけもなく、宙ぶらりんに取り残されていく。
三郎という名前、嘲笑まじりの「日本紳士」という呼ばれ方が残った。


三郎は、「ぼく」の父だ。過去のことを決して家族に話さなかった父。
「ぼく」が避けていた親しみ難い父でもあったが、過去の三郎は、多感で内気で、真面目な少年だった。
自らの眠りの秘密を解き明かそうと(日本までも含めて)彷徨う「ぼく」と、少年の日の三郎との、点と点とが、不思議にリンクする。
人の名前、出来事、地名……これらの彷徨が、「眠り」のありようを通じて、「ぼく」から父へ向かう旅であることがだんだんわかってくる。


この作品『眠りの航路』は、呉明益の初の長編小説だったそうだ。
廃れていく中華商場(住居付き大規模商業施設)、人々のまわりに現れ消える幻想的な動物たち、人も陸も覆う自然災害、戦争、自転車・戦闘機などのマニアックな美しさ、神話、父の失踪……
これら点々が、胞子のように空中に舞い上がり、次々に『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』『複眼人』といった忘れられない作品に繋がっていったようにも思う。


仮面と素顔。眠りと死。似ているようで真逆のようで、実はみてくれが違うだけで、案外同じものなのかもしれない。
いやいや、問題はそこではなくて、そこから生まれてくる別のものに思いを馳せるべきなのだろう。


私たちの国が、過去にやらかしたこと(ことによその国に)を、声高に責められなければ責められないほどに、恥ずかしくなる。
訳者あとがきの中の言葉
「植民地を忘却することで戦後再出発を果たした日本社会は、果たして三郎の発したこうした問いかけにどれほど誠実に向き合ってきたのだろうか?」が痛い。