『小鳥はいつ歌をうたう』 ドミニク・メナール

 

「わたし」はほとんど文盲だ。幼いときの体験がトラウマになり、六歳のときに、読み書きを覚えることを拒否したから。
それは、世界から遠ざかり、ひとり閉じこもることだった。その後、大人になってもずっと。


「わたし」の娘、六歳のアンナはしゃべらない。しゃべらないどころか、声を発したこともない。アンナがしゃべらないのは、「わたし」が文盲の殻に閉じこもったことと響き合う。「わたし」の殻が娘のアンナを抱きこんだまま、世界から守っている。守っている? こんなにも不安で、すくみあがった状態にあることを、守っている、といっていいかどうか。
壊れそうで、強固な、卵の殻に守られた鳥たち。


アンナの聾学校の教師メルランは、アンナの言葉を引き出そうとする。
「わたし」は動揺する。
もしも、「わたし」が殻を破り、世界に出て行こうとすれば(具体的には文字を読みたい、言葉を得たい、と思えば)、アンナからもまた言葉が滑り出してくるのではないか。あるいは、逆に……。
鍵は、「言葉」だ。
「わたし」は、一身同体に近いアンナを深く愛しているが、同時に「わたし」を置いてアンナだけが「鍵」を使って殻の外へ出ていくことを恐れている。そのことを「わたし」はよくわかっていて、苦しんでいる。羽毛に覆われた二人がいるのは、「鳥」の卵の殻のなかだ。
アンナは、どんどん学校に馴染んでいく。先生を慕い、友だちができる。だけど、愛する母親を振り切って走り出すことはできないのだ。アンナはまだ言葉をしゃべらない。自分がしゃべれる、ということにさえ気がつかないのかもしれない。


文章は美しくて静かだ。音がなく、色がない世界に、引き込まれるような静けさだ。しんと白い世界に引きこまれていく。


「わたし」が幼いころ、祖母に読んでもらった童話が、象徴的だ。
父王は愛情深さから、姫を塔に閉じ込めるが、姫を恋する若者が姫に毎日、「鍵」を呑み込んだ魚を届ける。姫は、塔の扉をあけるため、一日に一度、魚のお腹から出てくる鍵をためす。鍵が合わないとわかったとき、姫は飼っていた「鳥」を、一羽放す。(鳥は、言葉、かな。)
だけど、「わたし」は物語の結末を知らない。結末は「わたし」の手の中にあるように思う。
姫は、塔を出ていくことが出来たのだろうか。
姫が外に出ることで、もしかしたら、思いもかけないほど遠くまでの人々が救われることになるような気がするのだけれど。
もしかしたら、何度も寄せては返す、不幸な記憶のなかの人たちまでも。