『小道をぬけて』 ジョン・マクガハン

 

湖のまわりに点在する狭い幾つもの畑。畑を区切る分厚い生垣は、サンザシ、トネリコ、リンボク、ハンノキ、ヤナギ、ナナカマド、野生のミザクラ、ブナやシカモア。よい風が渡ってくるのを感じながら読む。
アイルランドの四季折々の風景を背景にして描かれる作家の半生の物語は、まるで連作短編のようだ。ときどき、かなり劇的な出来事が起こっているのだけれど、そこで大きく盛り上がることはない。むしろ抑えて抑えた感じ。とりようによっては、単調にも思える独特のリズムがある。
美しい文章、好きな文体だけれど、ずっと続けて読むのはちょっとしんどい。あいだに別の本を読みながら、ほそぼそと、ゆっくりと、読むことを楽しむ。
それは、小さなかったショーン坊や(作者)が、大好きなおかあさん(小学校の教師だった)といっしょに学校に通う道みち、あちらこちらで立ち止まり、咲く花を喜んだり、藪の間から現れる動物たちに目をとめたりするのに似ている。そんな読書だった。


警察署長だった父は、家族に「ひたすら要求し、ほとんど何も与えず、いつでも支配的」な人だった。
ふだんは警察署の宿舎に住んでいる父が家に帰ってくるときには、家じゅうが緊張した。
気分屋で、機嫌がよいときには釣りや畑仕事を一緒にしたが、突然前触れもなくかっとなって、子どもたちに暴力を振るった。
自分が子どもに何をしたわけでもないのに子どもが自分に懐かないのは、母親に責任がある、と本気で思っていた。
父は、自分の妻や子どもたちが、妻の親戚たち(兄妹)と付き合う事も、好きではなかった。


信仰に篤く、賢く優しかった母は、ショーンがまだ小学生のころに亡くなった。
子どもたち(ショーンを頭に、妹五人、弟一人)は、警察署で「あの」父と一緒に暮らすことになるが、それはそれは大変な日々だったのだ。
だけど、その暮らしぶりは、ユーモアたっぷりに描写される。専制君主のような父の口ぐせを子どもたちはこっそり真似して笑い合う。
幼いきょうだいは仲がよかった。できるだけ父との暮しをおだやかに過ごすために、互いに協力しあった。
それは、大人になり、それぞれが父の支配から離れた後も続いたし、父に対しても、自分や妹弟への仕打ちをある程度、許してもいるようだ。少なくても、仕方がないとあきらめていたのだろう。
母の兄妹たちの、この子たちへの有形無形の見守りも心に残る。
この家族が特別なのか、あるいはアイルランドの普通の家庭のありようなのか、家族・親族の結びつきの強さが、印象的だった。


成長していく子どもたちを助けた、いちばん大きなものは、すでにこの世の人ではない(天国にいる)母の見守りではなかっただろうか。
母と過ごした時間は少なかったけれど、その瞬間瞬間が(特にショーンには)宝だった。
ショーンが(父の意に反して)学業を続け、大学を卒業できたことも、やがて望み通り「書く」人になったことも、いろいろな巡り合わせはあったけれど、母の支えが大きいのだと思う。
この本を読むわたしにも、ショーンが母と過ごした静かな日々がいつも、見えている風景の後ろにちゃんとあるように感じたし、母の微笑みやささやきがときどき聞こえているようにも思えた。無言の肯定が、いつも背中をそっと押してくれた。
この母は、子どもたちと一緒にいられるわずかな時間に、一生分の宝を手渡した人だった、と思う。