『9歳の人生』 ウィ・ギチョル

 

 

ソウルの貧民街は、山の急勾配の斜面に形成されていることから、「山の町」または「月の町」と呼ばれたそうだ。
1970年頃のこと。
9歳のヨミンが両親と妹とともに引っ越してきたのは、「山の家」のてっぺんだった。
山のこちら側は、家とは名ばかりの掘立小屋がひしめきあうように並ぶ。貧乏過ぎて、学校の廃品回収に持っていくものがない。他人の不用品は、ここでは生活必需品だから。そんな家々だ。
山の裏側の斜面は豊かな森である。よそに地主がいて、ときどき山守が見まわっているが、山の町の子どもたちにとっては登下校の近道であり、遊び場であり、喧嘩の場所だった。


ここまでどん底の生活があるか、と思うくらいの貧しさだけれど、人びとは案外逞しく、あっけらかんとしている。
この町で死んで行く人たちは、どんな理由があったにしろ、やりきれないほど惨めだ。だから、人は助け合おうとするのだろうか。ときどき計算高い不愉快な発言に出会ったとしても、ヨミンの父をはじめとした町ぐるみの助け合いが、そこはかとなく温かい。


語り手ヨミンを中心に、町の子どもたちが行く。
酒乱の父を殺したいほど憎んでいた海ツバメは、たった12歳で意気揚々と働きに出る。
その後どうしているのか。やはり父と同じような「不運」に見舞われて、なりたくないはずの父のように、なってはいないか。
頼れる親もなく、姉と二人で暮らしていたほらふきのキジョン。ほらばかり吹いていたが、嘘つきではなかった。
みんな、ほんとうにその後どうしているのか。
だけど、今、このとき、子どもたちは、ひたすらに遊び、さぼり、激しくやりあう。全力で子どもでいる今の輝かしさ。


「幸福過ぎた場合を除き、九歳にもなれば、世の中のからくりを感じとれるようになる」
との言葉どおり、幼いなりに周りの事情なども見えるようになってくる9歳。納得できない事柄がたくさんある。
森の残酷な山守を、したたかに出し抜く。
子どものことなんかまるっきり眼中にない担任の先生の姑息さを滑稽に描き出して笑い飛ばす。
9歳の感じる理不尽さや世の中の不公平さへの「なぜ」という問いかけは、当時の韓国社会だけではなく、私たちの住まうこの町にも、私のような大人にも向けられているようで、耳が痛い。


ひとりで貧乏暮しをする高齢の「洞窟ばあさん」の事をかわいそうに思うヨミンに、母はいう。
「貧乏だからって、かわいそうなわけじゃないわ。貧乏ってのはただ貧乏なだけ。一番かわいそうなのは、自分で自分をかわいそうだと思いこんでいる人ね」
また、人の死について考えるヨミンには、父はこういう。
「死とか別れってのは、もうその人に何もしてあげられないから悲しいんだ」
母と父を慕うヨミンと、ヨミンの問いかけに丁寧に向き合う両親。
この家族は確かに貧乏だけれど、読んでいるこちらまで潤してくれるほどに豊かだ。