この道のむこうに/あの空の下で

この道のむこうに (Y.A.Books) あの空の下で (Y.A.Books) この道のむこうに (Y.A.Books)
あの空の下で (Y.A.Books)
フランシスコ・ヒメネス
千葉茂樹 訳
小峰書店


著者「ぼく」は4歳のときに、家族でメキシコからアメリカにやってきました。
不法入国して。豊かな暮らしを求める両親に連れられて。
しかし、その生活は過酷そのもの。
季節労働者として、イチゴ、綿花、ブドウなどの収穫をしながら、各地を転々、
住むところは労働者キャンプやバラック、ときには、納屋の土の上。
学校は仕事のない時期にしか通えず、たえず、強制国外退去におびえながら、生活はかつかつ、
家族で一日中重労働しても、その日暮らしで食べていくのがやっと、将来の見通しなど、まるっきりたたなかった。
学校では、英語がわからないので、先生やクラスメートの言っている言葉はひとつもわからず。
やっと先生に打ち解け、仲の良い友達もできたとたん、
ある日突然、「さよなら」も言うことができずに荷物を車に積み込んで次の土地にむかう。
いつも突然の「移動」は、せつなかった。


こう書くと、暗くて辛い物語のように思えますが、実は、この本に詰まっているのは、希望でした。
時に横暴だけれど、家族への愛に裏打ちされた父権絶対主義のメキシコ人の家庭で。
父の存在は、成長するに従って時に疎ましく、その理不尽さに悔し涙を流しても、さらに大きな家族愛を確認することにもなるのです。
優しくがまん強い母。常に父と子どもたちとの間に立ってくれた。
そして、兄弟たち。ことに、すぐ上の長男ロベール兄さんとのきずな。互いのさりげなく温かい思いやり。
ロベール兄さんとはいつも一緒に働き、たまにダンスにいくときだって、いつもいっしょでした。
みじめなクリスマスの描写でさえ、母の涙や、父が母に送る刺繍のハンカチに、
悲しみよりも、その悲しみのなかにとまった小さな明かりを感じ、ささやかにぬくもってしまうのです。
このしっかりと結ばれた家族の一場面一場面に、この家族の心の豊かさを見るのです。
子どもたちが勤勉で、家族を助けて働きに働きながらも、自分の道をしっかりと見据えて歩いていけたのは、
この家族の中で育ったおかげ、この父母に育てられたおかげだと思う。


とはいえ、次々と襲う様々な困難。
学校友だち(どんなに小さくてもちゃんとした「家」に住み、安定した暮らしが当たり前の友達)とのギャップ、
メキシコ人であることへの差別、不慮の事故や家族の病気・・・
やっと築きかけた小さな足場が根こそぎ倒されてしまったり、家族離散も・・・
一時は、ほんとうに絶望的な気持ちになりながら、
それでも、いつのまにか、「今度こそ」の微笑みに変わってしまっているポジティブな強さ。
強くて温かくて、爽やか。家族ひとりひとりがすばらしいのです。
忘れられないのは、
学校の授業で覚えきれない事柄(英単語、数学の公式など)をメモした小さな手帳をいつもポケットに入れ、
畑で働きながらも諳んじていた「ぼく」だったけれど、
その大事な手帳を突然の火事で焼失してしまったときの、お母さんの言葉。
「もし、あなたがあのノートに書いてあることを知っているのなら、あなたはなにもなくしていないじゃない」
そして、「ぼく」は、手帳の中身がみんな自分の頭の中にあることを知るのです。


過酷で不安定で、将来の見えない、どん底の暮らしを、いつか抜け出したいと願う。
「ぼく」をはじめとして、この一家の子どもたちのなんとしっかりしたこと。
英語を話せない父母に頼らず、小学校に入学するときも一人で。小さなときから、どんな困難も自分のことは自分で解決してきた。
そして、家族を助けて働きながら、やがて、自分の将来についても、具体的に考え、それにむかって努力していく。
中学生・高校生が、です。まわりの同世代たちがのほほんと遊んでいるなかで。
この子たちのまっすぐでしっかりした姿に舌をまいてしまう。自分の怠惰な日々が恥ずかしくなってしまう。


「ぼく」が出会った素晴らしい先生たち、友人、隣人の話・・・体験したこと・・・
どれもこれもが苦しい中で宝石のように輝きます。
ことに先生たち。ほんとうに素晴らしい先生たちに出会っているのです。
貧乏のどん底の少年、英語も話せない少年の、ものを見る目の確かさを認めてくれた初めての先生。
昼休みを犠牲にして根気よく英語を教えてくれた先生。
少年の磨かれない天分を開花させたいと願い、スタインベックの『怒りの葡萄』を勧めてくれた先生。
大学進学をあきらめなければならなそうな時に、スペイン語のできる先生が父のもとに赴き説得してくれたこと、
などなど・・・
先生たちの温かさ・骨おりが、「ぼく」のなかでちゃんと実を結んだのは、
「ぼく」自身が、自分の力で立とうとしたこと・自分の力で道を切り開こうと誠心誠意努力したことによるのだ、と思うのです。
そして、これは推測ですが、「ぼく」が先生を忘れないように、先生も「ぼく」を忘れてはいない、
もしかしたら、「ぼく」以上に、「ぼく」からの恩恵を受けているのは先生たちなのかもしれない、と思ったりもします。
人は人によって生かされている、そして、人によって豊かになれる。
そんなことを確認しています。


辛いはずの幼少期のはずなのに、事実、苦しい生活、困難な道のりは、読んだだけで実感するのに、
このなんともいえない輝きはなんだろう。
著者は、愛と希望のなかで生きていた。
・・・といってしまうと、なんともこっ恥ずかしい言葉になってしまうのがもどかしいのですが・・・
いつか「先生」になるのだ、と決心し、良く働き、家族を養いながら、
限られた以上に限られまくった時間の中で勤勉に勉強し、恋もし、友情をはぐくんだ。
そして、優秀な成績で高校を卒業、奨学金を受けてサンタクララ大学へ進む。
どん底の生活から、彼を押し上げた力は、家族の愛と絆のなかで育ったのだ、と信じます。


家族のきずなを何よりも大切にし、いつか家族みんな一緒に故郷のメキシコに帰ることを夢見ていた父は、
この地でからだを壊し、働けなくなっていく。
そして、大切な子どもたちは、それぞれの道に巣立っていく。
そのやるせなさは、身にしみます。
それでも手放してやるしかないのだよね。
子どもたちはちゃんとわかっているのだもの。
子どものなかで、父が大切に思っていた家庭は息づき、もっと大きな夢の中で実を結んでいくのだもの。


巻末の「作者紹介」欄に書かれた作者の略歴。
「・・・サンタクララ大学コロンビア大学ハーヴァード大学などで教育を受け、現在はサンタクララ大学で教鞭をとる。」
・・・感無量です。