『智恵子飛ぶ』 津村節子

 

智恵子抄』の外の長沼(高村)智恵子。あなたはどんな人だったのだろう……


親を説き伏せて福島から東京の女子大学校への進学を果たし、絵で身を立てていこうとしていた。
帯のお太鼓に油絵で描いたという百合の花は、きっと、誰の真似でもない自分の道を探そうとする人の凛とした美しさに輝いていたことだろう。
光太郎に出会う。思う。一途な恋が実ったときには、とても嬉しかった。
時がすぎても色あせることなく続く相手への深い思いは、ほんとうに一途で美しくて、そのせいで、幸せそう、よりも、苦しそうだった。


光太郎は、霞を喰って生きているつもりだったのだろうか。妻の姿の斜め後ろにある理想像を追いかけているように見えた。常に遠い処を眺めて、足が地面を離れていることにも気がつかずにいられたのかもしれない。
智恵子は、だから、地面に留まるしかなかったのではないだろうか。読みながら苛立つのは、それを光太郎が気づかなかった(気づかせなかった)こと。


「あなたは僕をたのみ
 あなたは僕に生きる
 それがすべてあなたを生かすことだ」
こんなふうに歌われてしまうことの痛ましさを思わずにいられない。
あなたはあなた自身をたのみ、あなたはあなた自身に生きることのできる人だったのに。
あなた自身がそれをちゃんとわかっていながら、夫・光太郎が好きなように歌うにまかせた。
そうして、あなたは、自分を狭い場所に追い込み、閉じ込めていく。


私の手許に『智恵子の紙絵』(社会思想社)がある。 智恵子の最後の日々の紙絵の画集だ。
複雑な形の植物や魚、静物が、画面の上で微妙に重なり、繊細に、のびやかに、配置されている。ときどき茶目っ気を感じる。


「病によって、肉親のしがらみからも、自分の才能への絶望感からも、目の前にそそり立つ光太郎の重圧からも、光太郎が自分に抱く過大な幻想に添おうとする努力からも解き放たれた智恵子は、思いのままのものを作り続ける」
自らの才能の命じるままに創作すること、自分らしく生きること。
若い日、智恵子は、そのように生きるつもりで故郷を出たのに……それが、「精神を病む」という形でしか叶えられなかったのだろうか。