『静かな事件』 ペク・スリン

 

父と母は、成績のよい「私」をよい私立高校に進学させたくて、ソウルに引っ越した。
広いマンションで暮せた田舎の町と比べて、ソウルは家賃も高い。父がタントルネ(月の町)と呼ばれる貧民街に家を買ったのは、一年か二年後の再開発を見越してのことだった。


家は狭く、騒音と、窓を閉めても隙間から入り込む悪臭に悩まされた。
スーツで出勤する父、日傘を差して買い物に行く母。一家は、周囲から浮いていた。
転校した学校の生徒は、貧民街グループと高層マンショングループと半々で、「私」はどちらのグループにも属さなかった。
「私」を迎え入れてくれたのは、近所に住むヘジとムホ。放課後は、同じ学校(共学ではなかった)に通うヘジと過ごすことが多かった。
やがて、父の言ったように、再開発の話が聞こえてくると、町は、賛成派と反対派に別れて反目しあうようになる。
そして、事件が起こる。「私」がこの事件を忘れないのは、この時、今まで見えなかったものが見えてしまったせいだ。大人になろうとしていた。


町のどんよりとした空気は、住人達の雰囲気に似ている。
「私」の友人たちはその雛型のようだ。
狭められた自分たちの将来を諦めつつ、夢を見る。
私立高校から大学までの進学が約束された「私」が、彼らの夢に苛立つのは、その夢の途方のなさのせいだろう。どこまでも広がる未来の夢は、最初から閉じられたままの門戸への諦めの裏返しに思えて、悲しくなる。
同時に、この閉塞感は、思春期の「私」そのものでもあったと思う。


いいことなんかない町の仮住まいでは、いろいろなものの存在感が希薄に思える。確かなものなんかないような感じ。いつも一緒にいた友だちさえも、ほんとうに友だちだったのだろうか、一緒にいて共有していたものはなんだったのだろうか。
不快なことなんか何もなかった。やさしい友だち。
「私」の気持ちの底にあったのは、疎外感と違和感、淡い失望だったかもしれないが、思い出に残るのはきっと、ちらっと見えた(ような気がする)ほの明るい光景。


町の猫たちを撫ぜているヘジの姿。
バス車庫の跡地の、ケーキの上でぱちぱちと燃えていた花火。


そして、雪。何もかも覆いつくす雪。この下には辛いものが、汚いものも眠っている。でも今は、ただ美しい。


韓国文学ショートショートセレクションの一冊で、日本語と韓国語の両方が載っている。日本語(しか読めないので)三十数ページの珠玉の物語。