『暗い抱擁』 アガサ・クリスティー

 

語り手ヒューは、死にかけたゲイブリエルの枕頭に立つ。
嘗ては憎い敵だったはずの男。彼は、死の床で、イザベルが死んだときのことを話しておきたい、と言ったのだ。ヒューもよく知っているはずのイザベルの死。今更、何を話そうというのか。
だけど……
「話し終えると彼はひとことだけ付け加えた、ただひとこと。そのひとことのために私はこの物語を書いているのだ」
そして、読者は、ヒューもゲイブリエルも、イザベラも若かった頃のあの村に、連れていかれる。


ヒューは、恋人の待つ空港へ急ぐ途中で交通事故にあい、半身不随になってしまった。
兄夫婦の世話になり、海辺の町で暮らすことになった。
この町は、今、国会議員選挙の真っ最中で、義姉テレサは、保守党の候補者ゲイブリエルのもとで選挙運動に積極的に関わる。
家は選挙事務所になり、人びとの交友関係(とりわけ熱中すればするほどに露わになる階級差のるつぼ)にヒューも、巻き込まれる。
候補者ゲイブリエルは、選挙区で絶大な人気を得るが、計算高く、裏表の激しい男である。身動きできないヒューを「壁」と呼び、壁の前で、他の人には見せられない本音(裏)を晒して見せる。
それから、古城の三人の魔女のような老女たちと暮らす姫イザベルと出会う。


時代は、第二次世界大戦末期。
「まだ終結していない世界大戦を遠景として、私たちは地方的な、著しくパーソナルな選挙という戦いに従事していたのである」
この一言で、この町が、まるで茶番劇の舞台のように思えてくる。


ミステリならここらで殺人が……と思うような場面が次々にあらわれるが、これはミステリではないのだ。
クリスティーが、メアリ・ウエストマコット名義で発表した、ミステリではない六作品のうちのひとつだ。
不思議なことに、ミステリ作家がミステリを封印すると、物語全体も、登場する人びとも、一層ミステリアスになるような気がする。


実際に起った出来事は明解なのに、それがどういうことなのか、なかなか理解できなかった。
説明するのが難しい。
「あの人をわたしたちが理解できなかったのは、あの人が複雑だからではなくて、単純だから――恐ろしいほど、単純だったからよ」
という言葉に、はっとする。
人(の心)は複雑なものであるはずだ、というのは先入観かもしれないが、そう思っているから、この物語に困惑する。わたしは、物語の中のあの人も、あの人も、またあの人の気持ちも、さっぱりわからなかった(いまだに)
単純すぎるものは、ときに複雑なものよりも、見る者を困惑させるのかもしれない。
複雑なものよりも単純なもののほうが、理解も説明も難しいなんて、不思議だけれど。
単純さを突き詰めると、気高さも醜悪さもあまりに一途で強い。そして、怖ろしい。


物語は、語り手ヒューの恋の顛末から始まり、再生への道を描いているように見える。けれど、本当はゲイブリエルの物語なのだ。
最初に提示された「ひとこと」を追いかけて読めば、そういうことになる。
ところが、思いがけない方向から、もうひとつの物語でもあったのだよ、と気づかされる。
人は見たいものしか見ないのだろうか。そのせいで、見たはずのものも歪んで見えてしまうことに気がつかないのだろうか。
ミステリは、ミステリと銘打った作品のなかにあるとは限らないのだ。