『未完の肖像』 アガサ・クリスティー

9784151300776

 

肖像画家(語り手)は、人けのない小高い庭園のベンチで海を見下ろしている女性に出会う。彼女は死ぬつもりだと気づいた画家は、一晩がかりで彼女の話を聞く。
彼女の名前はシーリア。
ここから始まるのは、画家が聞いたシーリアの半生だ。


シーリアは、想像の世界に走り勝ちな内気な女性。
彼女は幸福な子ども時代を過ごしたし、ざまざまな魅力を持った人だったが、どんな小さな決定も、独身の頃には母に、結婚してからは夫に、依存して生きてきた人だった。
これは、彼女が、自分の性質に気づき、依存を断ち切り、自立への道を歩き始めるまでの物語、といってしまえば、身も蓋もないのだけれど……。


ミステリの女王アガサ・クリスティーが、メアリ・ウェストマコット名義で書いた、ミステリではない作品だ。
ミステリではないが、ミステリ風の符丁やイメージを探しながら読んでいくと、これは、ほんとにミステリではない、といえるかな、と思うのだ。


たとえば、彼女の依存心を、「からむ蔦」(または、子ども部屋の壁紙の「柱のまわりにまつわるアヤメ」の模様)のイメージを借りて予言ふうに描き出していることなど。


それから、語り手の画家(物語の最初と最後にしか出てこないが)の存在のおもしろさだ。
彼は、シーリアに出会ったあの場所に、あのとき、どうして出かけていったのだろうか。(本当は何をしようとしていたのか)
彼が、シーリアの話を聞きながら、唐突に子ども部屋の壁紙の模様をたずねたのはなぜなのか。
そして、子どもの頃のシーリアがうなされたあの夢に出てきた男の容貌は……。


シーリアの物語は事実なのだろうか。画家は、この物語を「未完の肖像」と呼んでいる。
だとしたら……これは、いったい誰の肖像なのだろうか。
シーリアとは、もしかしたら、語り手である画家自身のことではないだろうか。
片手を失った画家の再生の長い道のりの物語を、一人の女性の半生になぞらえて描きあげたのかもしれない。