『センス・オブ・ワンダーを探して ~生命のささやきに耳を澄ます~』 福岡伸一:阿川佐和子

 

阿川佐和子さんが、石井桃子さんの言葉、
「子どもたちよ。子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です」
をあげれば、
福岡伸一さんが、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』の一節を紐解き、「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議に目を見はる感性」について語る。


名インタビュアーといわれる阿川佐和子さんによる、対談相手の話の引き出し方が絶妙で、興味深い話題の数々に、わくわくしたり、ほうっとため息をついたり……


生物学者の福岡ハカセは文学にも芸術にも造詣が深く、しかもどの分野も「生きる」ことに結びついていく。
生物学的な話であるけれど、それ以上に、わたしたち一人ひとりが、自分をふりかえってみたり、堀り下げてみたりするための一つの道すじと思う。


ドリトル先生を愛した昆虫少年は、大人になって生物学者を志す。
だけど、生物学は
ドリトル先生みたいだったかつてのシンプルに生を見つめる生物学が許されなくなって、いつの間にか死を詮索するような生物学へと変貌していた」という。


子どもから大人になることは、生から死に近づくことだ。シンプルから複雑なものに、そして、全体を見ることからより細部を見るようになること、なのかもしれない。
それは自然な流れで、必要なことでもあるのだろうけれど、うっかりすると大切なものをぽろぽろ失くしてしまっている可能性がある。
「機械の部品を一個抜けば機械は壊れて、その部品の役割がわかる。その機械論的な考え方が生命観としてまちがっているんじゃないかと」
たぶん、生物学だけではなく、私自身や、私のみのまわりのいろいろなものに言えることなのだと思う。
ハカセが語ってくれるのは、モノの見方だ。これはこういうものだから、という常識(?)から解き放たれてみれば、目の前に現れるのは、今まで気がつかなかった思いがけない、モノの姿。


福岡ハカセが愛するドリトル先生
ドリトル先生の魅力は、いくつもあるけれど、
ドリトル先生は動物とコミュニケーションできる能力がすごいんじゃないんです。それを使って儲けようとしたり、何かを企んでいたわけじゃなくて、動物や鳥や虫や魚が語っていることに耳を澄ませて、その世界のあり方を聞こうとしたのがすごいんですよ」
との言葉がとてもいい。
ドリトル先生についての言葉、というよりも福岡ハカセの姿勢なのだろう。そしてきっと、ハカセの「センス・オブ・ワンダー」の原点だ。