『裸の春』 ミハイル・プリーシヴィン

 

トラックの荷台にはベニヤの壁と防水布の幌の家がのっている。走る家だ。作者プリーシヴィン親子は、炊事担当のアリーシャとともに、三匹の犬と二羽の囮鴨をのせて、母なるヴォルガの春の大洪水を目指して、裸の春(早春)に、出発した。気ままに自由に。


巻頭に掲載された詩『マザイ爺さんと野ウサギ』(ネクラ―ソフ)が、プリーシヴィンの旅の源泉で、目指したのは、詩の舞台ヴェジー村だった。
美しい自然描写、いきいきと活動する生物たち。そして、村の男たちとの弾むようなやりとり。民話なのか実話なのか定かではないようないくつもの物語も聞いた。
ひとつひとつのエピソード、それこそ動物の鳴き声や蟻の行列のあゆみまでもが、珍しく楽しい。
雪を振り落として反り返る若木の梢、春の水が流れ始める最初の歌や、「森の魔物が蒸し風呂を焚いている」ように森から立ち上る湯気。生きもののような森の活気に驚く。


時にはユーモラス、時にはただ美しいが、何よりダイナミックで野生的な力を感じる。
ここに登場する人びとが森の厳しい自然の戒律を守って生きる猟師たちである事を思えば。
ヴォルガは、雪解けの水を湛えて、どうどうと流れていく。


ヴェジー村は、毎春、春の大洪水を経験する村であるそうだ。動物たちは、逃げて逃げて逃げ延びようとする。村の家々は、逃れようのない洪水を意識して、床高く建てられる。
この季節、狩る側と狩られる側の法が、ときにはあとまわしになるが、それは、優しさというより、こういう地で暮らす生き物たち(人も含めて)のおおらかな知恵なのだろう。
巻頭のネクラーソフの詩『マザイ爺さんと野ウサギ』は、ウサギ撃ちのマザイ爺さんが氾濫した川の中州に取り残されたウサギたちを小舟に乗せて陸に運ぶ様を、ユーモラスにうたったもものだったが、似たようなことは実際にこの村でも起こっていた。