『うまやのクリスマス』 マーガレット・ワイズ・ブラウン/バーバラ・クーニー

 

「むかし むかし
 あたたかい うまやのなかで……」
と始まる物語。
疲れ切った二人の旅人が夕暮れに宿屋に辿り着くが、部屋がなくて、馬屋にとまる。
その晩に……。


さて、これはいつの昔の物語だろう。
宿屋はレンガ造り。馬屋にはガラスの入った窓がある。
人々の着ている服や靴は、私たちが着ているものとたぶん変わらない。


ずっと前に、どこかで読んだか聞いたかした話なのですが、小学生が昔話『三枚のお札』の絵を描いたそうだ。山姥と小僧がご飯を食べている絵なのだけれど、それが、今風のダイニングテーブルを間に挟んで、おばあちゃんと子どもが椅子に腰かけているところだったそう。
言葉である情景を語ったとしても、受け取る側のイメージは、経験や知識などにもより、ずいぶんちがったものになるのだと思ったものだったが……
だけど、この絵本『うまやのクリスマス』を読みながら、ダイニングテーブルがある『三枚のお札』を描き出す子、いいなあ、と思った。
その子は、昔話を自分の側に引き寄せて、自分の言葉とイメージで思い切り味わったのだろう。その子の最大限の豊かさで。それが、きっと、その子のそのときのほんものの『三枚のお札』だったのだろう。


まぶねのなかのおさなごは、赤白チェックの毛布(?)にくるまる。
牛や羊や馬たちに囲まれて。にわとり、がちょう、ねずみたちもそれぞれのやり方で、嬉しくてたまらないって言っている。
裏ボアとボタンのついた防寒コートに身を包んだ羊飼いたちが、子の父母と一緒に幸せそうにおさなごを見守る。
クリスマスの「むかし」は、私たちに手が届く姿になって現れる。


「ほしくさのなかで
 おさなごが ねむる
 あたたかく まもられた
 うまやの むかし」
と締めくくられて、最後のページには、もう人の姿はどこにもない。
ただ、羊の親子がゆったりと寄り添い合って眠っている。窓の外はきっと明るい月。
なんてしずかで、満ち足りているのだろう。いい夢をみているみたいだ。
私は何を読んだのだろう、見たのだろう。
どこの街の家にも村の家にも、たとえ馬屋がなくたって、今夜、旅人たちは訪れる。どうぞ中へ、と言えるかな。