『僕はマゼランと旅した』 スチュアート・ダイベック

 

「僕」ことペリーはシカゴの下町で育った。
レフティ叔父に肩車されて、酒場から酒場を歩きながら「偉大なシンガー」ともてはやされた幼い頃から始まる11編の連作短編は、時々別の人物の物語を挟みながら、この町で成長し、やがてこの町を離れていくペリー(とその周辺の人びと)の回顧録だ。
排泄物の匂いがする(不!)衛生運河のほとりに住む人びとは、たとえば、レフティ叔父や、酒場を営むジップのように朝鮮戦争帰りがいる。一見なんともなさそうな彼らだけれど、戦争で何があったかは絶対聞いてはいけない。
ギャングがいて、不良少年が屯して、時には殺人も起こる。
いつでも誰とでもいちゃつきたい若者がふらふらしていたりもするし、誰かがどこかで殴られている。


大人になったペリーが、ふと小学生たちの一群に目を止めるところがある。なんて明るい群像だろう、とペリーの後ろで私は思うが、思い出してみれば、苦くて惨めなことばかりの子ども時代をペリーも仲間たちも、生き抜いて大人になったんだっけな、と思いだす。
子どもは子どもの、大人は大人のやりきれなさをなんとかごまかしながら生きている。
子どものころには、それでもそれなりの夢があったのかも。でも、大人になってみれば、どこかの町の隅で自分たちの親と見分けがつかないような暮らしをしているじゃないか。
汚くて、騒々しくて、危険でもある。それなのに、ここに、ほかの何があったというのだろう。ほかの何が見えるのだろう。

うん、あった、見える……


ちんぴらたちに追いかけられて、全速力で逃げていく男の靴底から、わたしには小さな星がぱちぱちと音を立てて生まれ、空にのぼっていくのが見えるような気がする。といったらユメユメし過ぎると笑われるだろうか。
酒場のカウンターの奥にいるジップの、腕のないほうのワイシャツの袖を畳んでとめた洗濯ばさみの毎日違う色。
どしゃぶりの雨の中を教科書を頭に乗せて走っていく少年を見送る手は、ちょっと明るく見えた。
いやいや、ここに住む連中は、ここを懐かしがる者たちは、もっと美しいものが絶対見えている。絶対聞こえている。彼らの特権だ。
錆びたアパートの外階段。開いた窓から聞こえてくる痴話げんかの声。そして、いつも変わらずに流れる、悪臭放つ(不)衛生運河。そういう町に暮らして。
星も見えない狭い空は意外に深くて魔法がかかっているようだ。だれかがサキソフォンを鳴らす。