日本語を母語として日本で育った台湾人の温又柔さんが、言葉について語ることは、自分自身や自分の根っこについて語ることだ。
温さんの本を読んでいると、日本語を母語として日本で育った日本人の私の、言葉に対するいい加減さを気づかされる。
何の疑問をもつこともなくこの地で、日本語とともに生きてきたことは、幸せなことだったかもしれないけれど、本当はそうではなかったのかも、と。
日本語を話すのは「日本人」だけではない、ということを、この日本でまともに考えたことがなかった。考えずにも生活できた、してきた。それが、まわりまわってそうではない誰かを傷つけていたかもしれない。
そういう「幸せ」が、無性に恥ずかしくてやりきれなくなる。
「学べば学ぶほど、自分が何も知らなかったことに気づかされる」
アインシュタインの言葉だそうだ。
私は、何も知らないことにさえ気がついていない。
言葉への向き合い方、掘り下げ方の真摯さに、どきどきする。
日本語と中国語、台湾語。いくつもの言葉の間を行きつ戻りつ、だから、例えば、日本語についても、内と外と両方から見られる。
「「書きことば」としての日本語は、ひらがなとカタカナ、漢字という、少なくとも三種類の文字が「共存」します」
と温さんは書く。それを豊かさだという。
そんなふうに感じたこと、なかったなあ。
この豊かな言葉は、温さんが子どものときからずっと耳にしてきた両親や親戚たちの中国語や台湾語をあらわすこともできるのだ。
「日本語はわたしたちのものである」
という言葉。わたしたちとは、(日本人も含めて)日本語とともに生活する地球の上のたくさんの人びとのことだ。
胸をはって、大きな声で、私もその「わたしたち」のうちの一人、と言えるようになれば、いいや、そんなこと言うまでもないでしょ、と思えるようになれば、誰もの居心地の悪さは消えるはずだ。
そして私も「日本語は、私の母語「でも」あります」と自信をもって言えるようになりたい。