『茶色の服の男』 アガサ・クリスティー

 

 

アン・べディングフェルドは、考古学者の父を亡くし、天涯孤独になってしまったけれど、自分が手に入れた自由を思って心躍らせていた。
「わたしがかねてから確信しているのは、もしもこちらがすすんで冒険をもとめてまわるなら、きっと冒険のほうから途中まで迎えにきてくれるということ」
これがアンだ。彼女は冒険者だ。


あるとき、地下鉄のホームで起こった転落死亡事故の場に居合わせたアンは、遺体を検分した医師を怪しいと思う。彼が落としたメモの、暗号めいた数字とともに記されていた名前が南アフリカ行の客船であると知り、ほとんど衝動的にこの船に乗ることを決意するのだ。
「あんたはそういう娘だ--ほんの些細なきっかけで、思いたったら即座に行動を開始するというたぐいの」
そして冒険が始まる。


「行く手にはアフリカ大陸があり、船はそこをめざして、暗い海を切り裂きつつ突き進む。このすばらしい世界に、たったひとりだけでいるような気がしてくる。その不思議な静寂につつまれ、時のたつのも忘れて、私は夢見心地で立ちつくしていた」


アンは、実は彼女ひとりではとても太刀打ちできないような大きな犯罪組織を敵にまわしていること、自分が常に誰かに見張られている事、命を危険にさらしていることを知るのである。
イギリスの地下鉄事故、同日におきた殺人事件。過去に起きたダイヤモンド盗難事件。それらが、この船の上で人知れず繋がり始めている。
鍵を握っているのは、〈大佐〉と呼ばれて恐れられている謎の人物で、間違いなくこの船に乗っている。いったい誰なのだろう。


大海原を渡る客船の旅、アフリカを横断する列車の旅、移り行く風物を楽しむ。
同行する人びとがそれぞれに個性的で、おもしろい。(だけど、そのうち一人は間違いなく怖い奴)


町を走り抜けて、隠れ家にひそみ、見えない敵をあざむき、あざむかれる。
怪しいのやそうでないのが次々に行動をおこし、ロマンスなども芽生えて、実に華やか。
からりと明るい冒険物語だ。