『海のアトリエ』 堀川理万子

 

 

おばあちゃんの部屋には、女の子の絵が飾ってある。
この子はだれ?と尋ねる「わたし」に、おばあちゃんは「この子は、あたしよ」と言って、この絵の話をしてくれた。
それは、おばあちゃんが少女だったころ。学校に行けなくなっていた頃。
夏休みに、おかあさんの友だちの、大好きな絵描きさんの家で、一週間過ごしたときの話だ。


絵本のイメージは白と青。
絵本のなかから、夏の風が吹いてくる。海の匂いのする風だ。
画家と(それからしっぽの長い黒い猫と)一緒に過ごす「あたし」の毎日が描かれている。


最後に、現在のおばあちゃんの部屋で、おばあちゃんは、孫の「わたし」にこういう。
「このことをずっとおぼえていたいって、そんな日が、きっとあなたをまってるわ」
この七日間は、「あたし」だったおばあちゃんの「ずっとおぼえていたい日」だったんだ。
今日の日の事をずっと忘れないでいたい……そう思う日はどんな日だろう。
「あたし」が絵描きさんの許で過ごした七日間は……毎日海で泳いだり、一度は美術館に連れて行ってもらったりもしたけれど、むしろ、何のこともなく過ぎていく、ごく普通の日だった。


私からみれば、一人暮らしの大人が、小学生の女の子を招いて一週間一緒に過ごすって、それはそれは大変だろうと思うのだけれど、この絵描きさんには、そういう気負いを感じない。
それは、女の子のことを子ども扱いしていないから、かな。
それから、同じ場所に一緒にいても、相手の領域を侵さないでいられる同士だとも思った。


たとえば、夜、二人で本を読んでいる場面はこんなふう。
少し離れたそれぞれ別の場所で、それぞれの姿勢でくつろいで(相手の邪魔をしないで)好きな本に没頭している。
適度な距離が心地よい。


絵描きさんのアトリエで、女の子が描いた絵が好きだ。
女の子は上に寝っ転がれるくらいの大きな紙をもらう。
女の子は描き出す。
最初は端のほうに、ちょこちょこと。
でも段々伸びやかに。全身を使って。
印象に残るのは、紙いっぱいに描かれた砂浜。
砂浜には色とりどりの貝殻が描かれている。
その絵の上を、足の裏に絵具をつけて歩いているのだ。
砂浜のあしあと!


おばあちゃんは、「ずっと覚えていたい日」をずっと覚えていた。
思い出すたびに、きっと、良い風が、過去から現在の暮らしのなかへと吹き込んできたことだろう。
これから先も。