『わたしのあのこ あのこのわたし』 岩瀬成子

 

 

友だち同士の小学五年生、秋ちゃんとモッチ。物語は、それぞれを語り手(主体)にして、小出しに、交互に語られる。


あの子と仲良くなりたいな。
あの子と仲良くなれてうれしいな。


だけど、仲よくしているうちに、相手の、気がつかなかったいろいろな面が見えてきちゃう。こちらも見せている。
あれ、こんな子だったんだなあ、という小さな驚きに、時には、不快なものが混ざってくることがある。
爆発することもある。
子どもだけじゃないや、私だってそう。いまだに、そういうことあるよ、と五年生の少女たちを見ながら、成長しない自分にため息ついてしまう。
ある小さなグループの中で起こっている嫌なこと、外からやんわり指摘されたときにグループの子たちが自分たちを正当化するやり方、指摘する人を居心地悪くさせる方法なども、子どもの世界だけじゃない、と思う。


一寸気まずくなってしまった二人が、双方を気にかけながら、少し離れたところにいる。
離れたところから相手を見ていると、一緒に行動していたときとは違うものがみえてくる。
相手のまわりの景色も見えてくる。
相手を鏡にして、自分の気もち(持て余し勝ち)に向き合っていることもある。
同じ姿を眺めているのに、自分の気持ち次第で、違うとらえ方をしていたり……その時その時で変わってきたりもする。
でも、いずれにしても、相手の事が気になって気になってしかたがないのだ。
そして、こんなふうに距離をおかなければいられない自分の気もちが苦しいのだ。
細やかに描かれる二人の気もちを読んでいると、仲良しからちょっと距離を置いたことで、育っているものもある、と感じられる。


二人とも、クラスに気になる男の子がいる。
二人はそれぞれ考えてみる。
好き、とか言うのとちょっと違うような気がする。
奇しくも二人とも、その男の子のことを「わたしもああいうふうになりたい」相手、と思っているのだ。
ああいうふうになりたい、と思える人が、そばにいるって素敵だね。


道夫くん(秋のお父さん)の言葉がいいなあ、と思う。
「『ほんとうの気もち』ってよくいうけど、ほんとうの気もちなんてあるのかな。あるときにはこういう面があり、べつのときにはべつの心になる。だから、あの人はこうだ、と決めつけることはできないと思うんだ」