『野呂邦暢ミステリ集成』 野呂邦暢

 

 

この本には、まず、中短編の(どちらかといえば)ミステリ作品と、それから、ミステリがテーマのエッセイとを集めてある。
ミステリについてのエッセイが、こんなにあったのか。
以前読んだ『愛についてのデッサン』はミステリ連作集でもあったので、野呂邦暢さんとミステリという言葉に違和感はなかったけれど、読む方も本当に好きな人なのだ。
「晩酌がわりというのはウソだ。三度の食事と変わらない」というほどに。
とはいえ、ときどき「そこ! ネタバレしかけていますよ!」とわめきたくなる部分もあり、要注意だ。


おもしろいのは、野呂さんのミステリについての考え方だ。
「初めに何か「物」がある。それによって記憶の井戸さらえのごときことが起り、主人公の内部に深く埋もれていたものが明るみにでてくる」
「世界の本質は謎である。私たちはそれを解くことはできないが世界を形造ることはできる。だとすれば謎を解く必要などありはしない」
「ミステリに機械仕掛けのトリックは無用なのである」
……これで、ミステリになるのかな。


でも、こういう言葉から、野呂さんの(どちらかといえば)ミステリ作品を振り返れば、確かに……と頷けるものがある。
巧妙なトリックはない。アリバイは……あるといえばある。出来事に伴う大きな謎があって、身を乗り出すようにして読んでいくのであるが、途中、ぽろぽろと簡単に解けていく。そんなことはどうでもいいみたいに。
で、何が残るか、といえば、人の思いだろうか。
意識、無意識。夢、現。
いったい何が正しくて何が正しくないのだろう。自分の思いに自信が持てなくなってくる不安。
端正な文章が、その不安をついてくるようだ。読み終えて、怖くなったり、とりかえしのつかなさに声が出なかったり。
血が流れるわけではない。何かを盗られるわけではない。傍目には、ほとんどの場合、何も起こっていないのではないか。
人(自分もふくめて)は迷路のようだと思えてくる。歩いても歩いても出口を見つけられない迷路にいるようでもある。