『ぼくはおじいちゃんと戦争した』 ロバ―ト・K・スミス

 

ぼくはおじいちゃんと戦争した

ぼくはおじいちゃんと戦争した

 

 

1991年出版の『おじいちゃんとの戦争』(文研出版)が復刊された。
子どもたちが、友だちの家のリビングに集まって、ボードゲームを囲む(囲みながら悪だくみの相談なんかもする)場面など、今では懐かしい。(この本と初めて出会ってから約三十年!子どもの遊びもずいぶん変わっていた)


ピーターのおばあちゃんが亡くなって、遺されたおじいちゃんは元気がない。ピーターの両親は、おじいちゃんを呼び寄せ、一緒に暮らすことに決めた。
おじいちゃんが大好きなピーターは大喜びだったが、大切な自分の部屋をおじいちゃんのために明け渡すように言われ、かんかん。
悪友たちに煽られたりもして、自分の部屋を取り戻すために、大好きなおじいちゃんと「戦争」をすることにした。まずは宣戦布告の手紙とともに最初の攻撃を……。


ピーターの攻撃に、最初は困惑顔のおじいちゃんだったが、聞く耳持たない孫に、反撃を始めた。
お互い、家族には気がつかれないように、こっそりと。これは二人の戦争なのだ。
趣向をこらしたゲリラ戦法で、反撃に反撃、また反撃して……
気がついてみたら、元気がなかったおじいちゃんはすっかり……。


と、その一方、実は、この物語には、ほかにも大切なテーマがある。
「戦争」を始めたピーター自身が、途中から、自分がちっとも楽しんでいないことに気づき始める。
最初の宣戦布告のときに、おじいちゃんが言った言葉は大きい。
「ピーター、戦争はゲームじゃない。ゲームだと思ってるのは、子ども(ピーターのこと)とバカ者と、将校以上の軍人だけだ」
ピーターはそのときは聞く耳をもたなかった。
そして、おじいちゃんが参戦する気になったのはなぜなのか?
戦争、といっても、思わず笑ってしまうような、ほとんど罪のないイタズラばかりだ。
だけど、ピーターが、楽しくない、と感じたのはなぜなのか。
このイタズラの応酬が、まさに「戦争」のある一面を言い当てていることに、気がつくのである……
もうひとつ、友人たちの煽りと、それに対する自分の気持ちを、あとになってピーターは少し冷静に振り返っていることも印象に残っている。
祖父と孫のちょっと素敵なお話は、楽しく読みながらも、実は思いがけない奥行きを持っていたのだと気がつく。


これは五年生のピーターの国語の課題なのだ。ほんとうにあったことをありのままに書く、という。
かくして、まるまる一学期間を費やして書き上げたのが、この作品、というわけだ。
ピーターは、苦労したけれど「いっしょうけんめい考えて、妹がじゃましたりしなければ、なんとかできるもんですね」と晴れ晴れといい、「大きくなったら作家になろうかな」なんて思い始める。
この本がアメリカで初めて出版されてから、今年で35年。ピーターは、今頃、どこかで思いを遂げているかな、なんて楽しく想像している。