『ルーパートのいた夏』 ヒラリー・マッカイ

 

 

ペンローズ家の下の子クラリーが生まれて三日後に母は亡くなった。以来、ピーターとクラリーの兄妹は、子ども嫌いで独りよがりな父親にほとんど無視されて大きくなった。
冷たく寂しい家庭で、兄のピーターも子どもの頃は決して妹に親切ではなかったので、クラリーはどんなに寂しかったことかと思う。だけど、芯は強いが天然といいたいくらいにお人よしのクラリーは、自分を不幸とも寂しい人とも思わなかった。
通いの家政婦モーガンさんや、「善き行い」(時によってかなり迷惑なのだけれど)の隣人ヴェインさん、くず集めのキングさんなどと、友情を築いてもいた。
もっとも楽しみにしていたのは、毎夏を祖父母の住むコーンウォールで過ごすことだった。
ここには年上の従兄ルーパートがいて、最高の笑顔で迎えてくれたのだった。
子どもたちは、野や海を舞台にして素晴らしい夏を過ごした。幾夏も幾夏も……
クラリーもピーターもルーパートも、後になって、何度もコーンウォールの夏を思い出す。


クラリーが生まれたのは1902年。この子たちが大人になる前に第一次世界大戦が始まるのだが……
女の子に生まれたクラリーをめぐる環境の狭苦しさに息が詰まりそうになる。
男の子に許されるのに女の子に許されないことがたくさんある。家庭を顧みない父だけではなく、善意の女性たちまでも女の子を縛る。よかれと思って。
学びたい、この家の外へ出たい、とにかくもっともっと学びたい、男の子のように!
そういうクラリーを応援し助けたのが、男の子である兄のピーターやその友人だったことが印象的だ。


そして戦争。
のちになって、ある人が「みんな、あまりに早く大人にならされた」といった。
泥沼のようなフランスの戦線だった。(あまりにひどい描写は避けていると思うけれど)
屋外で体を動かすことが大嫌いで、いつも寝るときにはこっそり靴下をはいて寝る、という青年までも自らすすんで軍隊に志願する。
怪我の後遺症があるため志願できない青年はこんなふうに嘆く。「人と戦うなんて、考えるのもいやだけれど(中略)戦いに加われないことのほうが、もっといやだ」
傷ついて戦線を離れた戦士は「自分が生き延びたことをうしろめたく思っていた」
そして……そのころ、新聞も読むことのできない、何も知らされない女の子は、「夜になれば軍隊は横になって休むし、馬はちゃんと面倒を見てもらえる。緑なす草地は、闘いが終わったときも、戦いがはじまったときと同じくらいさわやかで清潔だ」と思っていた。よく見える目に目隠しされているみたいで、殺しあいとは別の残酷さを感じた。


少年少女たちはどんどん大きくなる。目覚ましい成長を頼もしく愉快に思いつつ、その過程で失ったたくさんのものの取り返しのつかなさがつらい。そして、成長して大人になることができなかった者たちのことが。


最後の舞台はコーンウォールだ。子どもたちの懐かしいコーンウォールは変わらない姿のままで、誰を迎えたのだろうか。