『ダック・コール』 稲見一良

 

ダック・コール (ハヤカワ文庫JA)

ダック・コール (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:稲見 一良
  • 発売日: 1994/02/01
  • メディア: 文庫
 

 

「ぼく」は、石に鳥の絵を描く老人と出会う。
老人と過ごす一夜のことを、プロローグ、モノローグ、エピローグで語る。
その間に置かれた中短編の物語六つ。
まるで、石の鳥が語り出したか、と思うような物語だった。


『第三話 密猟志願』の「私」は密猟者である。
そのわりに不器用で、獲物を逃がしてばかり。「私」の前に現れた10歳くらいの少年の、鳥を捕る鮮やかな手並みに魅了されて、弟子になる。
大きな手術を終えたばかり、余生を自分の思うように生きようという初老の男である。


「密猟! この言葉を目にする時、耳にする時、また口にする時、私はいつも遠い荒野の呼び声を聞いたように戦慄し、心はたちまちにして昂揚する。そもそも、狩猟と戦争ほど男を夢中にさせるものがあるだろうか」
そして、いざ狙いを定めれば、まるで掃除機で吸い取るように、(入り用でもないのに)そこにいる獲物全部を捕らえ尽くすような猟は、異様だった。
『第二話 パッセンジャー』の村人総出の狩りの光景もそうだが、こんな狩りの仕方をして何が残るというのか。やがて、自分たちの首をしめることになる。


そういえば、『第四話 ホイッパー・ウィル』では、サソリの逸話が挟まれるが……
池の向こう側に渡りたいサソリは、泳ぎのうまい蛙に、刺し殺さない、と約束して背中に乗せてもらうが、池のまんなかで、やはり我慢できずに蛙を毒針で刺してしまう。死んだ蛙といっしょに、泳げないサソリも池に沈んでいくしかないのに。
それは、狩りする男たちの姿とよく似ている。
そう思いながら眺めると、残酷なこの男たちがどうしようもなく悲しく思えてくる。
何よりも、男たち自身が、自分の情けなさ、どうしようもなさを知っているのだと思う。池に沈んでいくサソリのように。


『第三話 密漁志願』の「私」が少年と二人で過ごす野の日々に感じるのは、静けさと平和、そして透明感。
『第六話 デコイとブンタ』の少年にも、『第一話 望遠』の飛び立つ鳥にも、つながる透明感だ。
少年も鳥も、たぶん、(サソリのように)どうしようもない人間たちのが求めてやまない(でも、決して所有できない)、憧れであり、聖性のようなものなのだろう。