しずかな日々

しずかな日々しずかな日々
椰月美智子
講談社


リンドグレーンの『やかまし村の子どもたち』が好きです。
この本の中の子どもたちの生活のなんときらきらしていること。
わたしにとっては、まるっきり夢のような生活なのですが、彼らにとっては当たり前のなんでもない普通の日々なのです。
普通の日々だけれど、その普通の日々をひたすらに味わいつくしている、
その姿が、羨ましくて羨ましくて、読んでいるとどきどきしてしまうのです。
そのどきどきをこの本『しずかな日々』に重ねます。
主人公枝田光輝の気持ちは、やかまし村に感じる気持ちと一緒です。


普通の日々なのです。普通の夏。
野球をしてたり、ラジオ体操、学校のプール。
自転車で遠くまで行ったり、友達がとまりにきたり、無口だけどおいしいご飯と漬物の上手なおじいさんがいる。
庭の水しぶき。縁側で食べるスイカ
その夏を普通以上に大切に思うのは、主人公の少年が、それまで普通を知らなかったからなのです。


これまでの生活に、特に不満があったわけではない。いえ、不満を知らないのです。
満足ということも知らないから。
友だちは一人もいなかったし、だからといっていじめられるわけでもなく。
それがあたりまえだったから、友だちといる楽しさも、いさかいの辛さも知らなかった。
ただ時間をやり過ごす日々には、激しく怒ることもなければ、喜ぶこともない。


あるきっかけがあり、まるで生まれたてのように、
ひとつひとつ、「普通」に対して、五感がゆっくりと開いていく過程のなんという輝かしさだろう。
しずかな日々は、こんなにも素晴らしくこんなにも愛おしい。いくら味わっても味わいつくせないほどに。
しずかな日々、普通の日々は、つまり、普通に喜怒哀楽を表現できることでもあるのです。
人として、呼吸を始める。


しかし、このかけがえのない日々には、いつも不安が漂っているのです。
最初の1ページめから・・・何かぎくしゃくしたものを感じるのです。
それは読むほどに少しずつ膨らんでいくようで、「しずかな日々」がいつか壊れるんじゃないか、
いつか何もかもめちゃくちゃになってしまうんじゃないか、とずっと感じていました。


この気味の悪さ・・・
思えば、楽しいだけの日々だったら、
こんなにかけがえがない、と感じなかったかもしれないし、守りたいとも思わないかもしれない。
なんでもない「しずかな日々」を手に入れることも、それを守ることも、
実は、ものすごく大きな意志の力が必要なのだ、と、
ただ、あたりまえに呼吸することもまた、大きな声をあげて、体を張って手にいれなければならないのだ、と
主人公とともに感じるのです。


やがて、はずみをつけて、いろいろなことに手を伸ばし、いろいろなことを考え、
いろいろなことに怒り悲しみ、しずかな日々は、少しずつ膨らんでいくに違いない。
悲しんだり苦しんだりすることも、それができる、ということは、たぶん素晴らしいことなんだ、と思う。
そして、のちのち、自分のベースになるのは、なんでもない「しずかな日々」なんだ、と思う。

>人生は劇的ではない。
そう。だけどそう思えるということが実は、とても劇的なことなのではないでしょうか。