ハサウェイ・ジョウンズの恋

ハサウェイ・ジョウンズの恋

ハサウェイ・ジョウンズの恋


アメリカのゴールドラッシュの時代。
一攫千金を夢見てたくさんの人々が集まってきたローグ河のほとり。
ラバを引きながら河沿いを往き来し、金鉱掘りや農夫たちのもとに、郵便や、砂糖、塩、コーヒー、鉄砲の弾丸を、そして物語(はなし)を届けたハサウェイ・ジョウンズ(この物語では13歳〜15歳くらい、となっている)は実在の人だそうです。その周りの人々も。
タイトル「ハサウェイ・ジョウンズの恋」、そして、やわらかい色調のメルヘンチックなカバーの絵。
・・・だけど、これらの軽やかや印象に比べれば内容ははるかに深く骨太です。
それでいて、物語る言葉は決して大仰ではなくささやかで、なんともいえない美しい余韻が残る物語になっています。
訳者あとがきの一節「なんどもなんども読み返したくなる」に大きく頷きます。


ローグ河ほとりに住む人々は、それぞれにそれぞれの過去があり、ときには人には言えない秘密をもちながら、それを押し隠して生活しています。
人が寄れば、さまざまな感情が沸き起こり、ときには、ズルさ、嫉妬や憎しみ、あるいは単なる勘違いから、殺人が起こった。
何人もの人々が死にました。そしてその死がまた、人々に新たな嵐を巻き起こした。


けれども、彼らを取り囲む自然はなんと豊かなのだろう。
その描写の詩的な美しさにため息が出てしまう。
いくつもの川の支流のせせらぎ、その川を取り囲む森からは絶えず小鳥や虫の声が聞こえる。
木々をゆする風の音。
けれども、それらの音はしんとした音のない世界に吸い込まれていくような静けさを感じるのです。
ときには嵐。そして厳しい冬。人々の命が消えても眉一つ動かさない自然。
それらさえも静かで、豊かさのうちにあるように思えるのです。


そんな自然の中を野宿し、ときには農家の納屋で眠り、旅するハサウェイ・ジョウンズは、自分の誕生日も知らない。
文字も読めない。
無骨で不器用な少年です。
無口で繊細です。
ひとり黙々と旅しながら心に浮かぶ物語をあちこちで人に語るときだけわれを忘れるのかもしれません。
この本の中にでてきた物語は、実在のハサウェイが本当に語った物語なのでしょうか。
これほどにハサウェイらしい物語はないように感じました。
そして、そのときどきのハサウェイの気持ちを代弁してもいるように感じました。
ある部分は荒々しく、それでいてシャイで、ユーモアがある。
決して品がよくない、はっきり言って下品なくらいなのに、力強くて、そこに隠された心情にはなんともいえないピュアな美しさのかけらがあるのでした。


父と二人で住む小屋は、冬は外から戻って扉を開けると「毛皮や、夜の屁や、魚や、肉や、粗悪なランプの油の匂いがぷんぷん」しているのです。
また恋にときめく思いを「天使が、おれの心臓にしょんべんをかけた」と、相手にむかって言います。
この粗野で不器用な少年と、自然描写の美しさの対比がなんともいえずいいんです。
そして、彼のことを好きになります。

読んでいるときには、ハサウェイのことも気になりましたが、それよりも周りの人々の様々な人生に翻弄されるような思いでした。
印象的なメイシェこと「黒い火」。
そして、言葉少なだからこそ残る、ハサウェイのスコッティ・マッカレンに対する友情・・・
でも、読み終えたとき、蘇ってくるのは、ただただ、この美しい風景を背景に語られる少年の切ない思いなのです。


初恋です。
いつの時代でも何処の国でも、若者は恋をします。
相手に対する憧れ、妄想。嫉妬。劣等感。おずおずと近づいていくその不器用さ。根拠のない自信。天にものぼる幸福とどん底の不幸に大きく揺れる感情・・・
どれもどれも、誰もが経験した感情ではないか、と思います。何一つ新しいものはない。
どれもこれも共感できるのです。くすぐったいような思いで。泣きたいくらいに愛しい思いで。
むしろ新しいものがないからこそ、沁みてくるのです。沁みてくる、と思えるような書き方なのです。
大きなうねりや芝居がかった言い回しは極力さけて、無骨な若者が、壊れ物を扱うように、自分の心のふたをおっかなびっくり開けるその様子。
ごつごつとした手のなかで温め、ゆっくりと大切に育てていくその様子。
どれもこれもが愛しい、と思うのです。


・・・そしてやはり、ハサウェイという若者が好きなのです。
彼が住んでいたのは、一攫千金の荒々しい夢と残酷な失意に満ち満ちた土地。
人生のもっとも極端な運否天賦をさらけ出す土地。
そんなところで暮らしながら、一生、手紙と日用品と物語を届けて旅した。
この美しい風景のなか。青空の下。満天の星の下で眠り・・・
大きな夢を追うよりも大切なものを静かにゆっくりと育てていくことを望むその生き方が好きなのです。


文章もよかったです。ハサウェイがどんな若者であるか、いちいち説明しなくてもわかる情景描写。
たとえば、河縁で、片一方だけのモカシン靴をハサウェイがみつけたところです。

>ハサウェイは木のてっぺんからぶらさがった靴を見ながら、もうかたわれはどこにいったんだろう、と考えた。いつも相棒といっしょだったのに。ふたつそろってお出ましするように作られたのだ。こいつらは、おたがいに探しまわっているかもしれない。きっと、積もる話が山ほどあることだろう・・・別れてから、どっちもいろんな経験を積んだだろう。なんでも分けあうのがクセになっていたふたつだ、身におこったことは、おたがいになんでも打ち明けあったふたつだ。いつも同じ経験ではなかった。ひとつが糞を踏んで、もうひとつは踏まなかったってこともあったから。けんかもして、仲直りもした、とハサウェイは思った。だけどいまはどっちも一人ぼっちで、もう片方を恋焦がれている。
そして、こういうところから彼の物語も生まれるのかもしれません。