『親指のうずき』 アガサ・クリスティー

 

 

初老のベレズフォード夫妻、トミーとタペンスである。
トミーの伯母のエイダを老人ホームに見舞ったときに、偶々出会った老女ランカスター夫人のことを、タペンスは忘れられずにいた。
まもなくエイダ伯母が亡くなり、遺品を整理するために再度訪れたホームには、ランカスター夫人の姿はなかった。身内が慌ただしく引き取っていったとのことだった。
エイダ伯母の部屋には、これまで見た事のない風景画が掛けられていたが、それはランカスター夫人からの贈り物だった。タペンスはこの絵が気になる。絵の中の家を自分は知っている、と思うのだ。


行方がわからないランカスター夫人(とその身内)のことがタペンスは気にかかる。何か事件の匂いがする。ヒントは、おそらくあの風景画なのだ。
タペンスは、記憶の底から蘇ってくるあの家を、一人で探しに出かけるが、戻ってこなかった。
トミーは、タペンスの行方を探す。ヒントはあの絵だけ。


目指すゴールは一点だ。そこに向かって……イメージとして、タペンスが右回りで近づいていこうとするなら、トミーは左回りで近づいていこうとしている。
やがて、出会った二人は、それまでの道中に互いが見たもの聞いたもの洗いざらい広げて、取捨選択していく。
だれもが巧にそらそうとする、その家の話題、絵の中の腑に落ちない何か。
大掛かりな窃盗グループの暗躍、ホームでひそかに盛られる毒薬の噂、過去に誘拐されて殺された子どもたち……これら、老婦人の失踪(そもそも生きているのか)に、関係があるのか、ないのか。


年齢を重ねてもなお、元気な二人。ことに臭跡を追うテリアに例えられるタペンスの活躍の目覚ましいこと。
トミー&タペンスシリーズ(短篇集も含めて)四冊めだけれど、わたしには、これが一番おもしろかった。
危機に直面したタペンスが、簡単に回避できるはずと目算していたものの、突然、いまや自分は若くない、むしろ老人なのだ、ということに気がついてひるむところ、はっとした。読んでいるこちらも、すっかり忘れていたのだけれど、そうだった、彼ら、もう若くはないのだ。若くない、ということが恐ろしい、と感じた場面だった。


ごちゃごちゃとした噂話が、まるで森の入り組んだ木の枝々のようだ。足元から底冷えがするような冷気や湿気が立ち上ってくるようで、独特の雰囲気がある。
最後に現れた真実にあっと驚きつつ、癖のある登場人物それぞれのその後を知りたい、と思っている。