スウェーデン東海岸群島の小さな島に、ただひとり、ひっそりと住んでいる男がいる。
フレドリック・ヴェリーンは66歳。外科医だったが、訳あって職を棄てて、この島に移り住んで12年。外界との接触をほぼ絶ち、名のない老犬と老猫とともに暮らしていた。
その彼の元に、昔の恋人が現れる。彼は嘗てこの恋人のもとをこっそり逃げ出し、以来一度も会っていなかった。
彼女は、重い病気に罹り、まもなく死のうとしているのだが、その前に、フレドリックの古い約束の履行を求めてやってきたのだ。
二人、真冬に旅に出る。
12年間、定期的に来る郵便配達人以外、誰も訪れる者もいない島で暮らしてきたフレドリックは、この旅をかわぎりに、何人かの女性たちに会う。彼女たちは、フレドリックによって、間接的、直接的に傷つけられ、人生を狂わされてしまった人たちだ。
いろいろな意味で、人生に取り返しのつかない手酷い傷をつけられた。
フレドリックは、極悪人ではない。ごく普通の人間であるが、良い人間とはいえない。独善的で、無責任、嘘つきで、都合が悪くなると直ちにしっぽを撒いて逃げ出し、どこかの陰に身を潜めてしまうような。
そして、自分がしでかした罪を悔いてはいるが、後悔までも時々、独善的に感じる。
もっともっと彼を責めてもいいはずなのだけれど、責めきれない。
ある部分、嘘つきであるけれど、ある部分ではとても正直だし、ある部分では無責任であるのに、別の部分ではこのうえなく信頼できると感じる。
そうして思う。彼の弱さのいくらかは、わたし自身も持っている。言いたくないけど。
彼が出会った女性たちひとりひとりが、彼自身の姿を映し出すための鏡のようでもある。
臆病で、恐怖が勝って、直視するのを避けてきた彼のなかのなにか。
彼が逃げたのは、彼女たちからではない。自分自身からだ。
隠遁生活を続けることが彼にはもうできない。
彼がこれまで一緒に暮らした犬と猫には名前がなかった。その後、(彼女たちと出会ったあと)縁あって一緒に暮らすことになった犬に、彼は自ら名前をつけるのだ。その犬に「ふさわしい名前を」を。
名前をつけることって、すごく象徴的ではないだろうか。
タイトルの「イタリアン・シューズ」だが……
ちゃんとした靴さえあれば、ほかは(服も帽子も、ふるまいも)何もかもが問題ではないのだ、といった人がいる。靴さえあれば。
「ひどい靴」を履き続けてきたフレドリックだ。
物語の終わりの明るさは、「ちゃんとした靴」だ。「ちゃんとした靴」にはいろいろな意味が込められている。