『人生の特別な一瞬』 長田弘

 

人生の特別な一瞬

人生の特別な一瞬

 

 

「ほとんど、なにげなく、さりげなく、あたりまえのように、そうと意識されないままに過ぎていったのに、ある一瞬の光景が、そこだけ切りぬかれたかのように、ずっと後になってから、人生の特別な一瞬として、ありありとした記憶となってもどってくる」


通り過ぎていく景色を車窓から見ているとき。海に向かって先へ先へと急いでいる時。美術館で過ごすとき。おいしいお菓子をあじわっている時……
私だって、ときどき、ふっと思う。「今の時間を大切に覚えておこう」って。特別な一瞬は、なにか特別なイベントがあったとかなかったとか、そういうことではなくて、きっと何度も同じように繰り返す日常のなかにある。
ぼんやりとしていたり、バタバタ忙しくしたりしているときでも、ふと、なにかの拍子に、今という時間を意識して、(気持ちのうえで)たちどまったり、改めてまわりを見回したりする時があったら、もしかしたら、それが、後々までも忘れられない特別な一瞬になるのかもしれない。


この詩集は、長田弘さんが立ち止まったたくさんの「特別な一瞬」のアルバムみたいだ。その一部は、たとえば、こんなふうだ。


思い出のなかのその場所にはもう二度と行くことはかなわない。長田さんは言う。
「もう二度と行くことのできない場所が、もう一度ゆきたい場所だ」


月の夜なら……月はひとつじゃない。長田さんは、
「街の窓一つずつに、一つずつの秋の月」


木についてなら、
「ひとの世の景色をなつかしいものにするのは、いつだって一本の木なのだ。その木がそこにあるというだけで、気もちがなぜか弾んでくる」
 読んでいると、わたしにも見えてくる、わたしの木の景色がある。


マンハッタンのリトル・イタリーのあるレストランの主人が、紙ナプキンに書いてくれた言葉。「神に祝福された穏やかな馬鹿者」
これ、「詩人という輩」の定義だって。


電車のなかで読む本を、選ぶなら、
「先へ先へと急ぐ物語の本や、次へ次へとみちびく情報の本」は合わない。私だったら、どんな本を読むかな…。
長田さんが新幹線のなかで本を読む。
「世界一の速さを競ってきた新幹線という列車のなかに、いまはどこにも無くなってしまった、いちばんゆっくりとした読書の時間がある不思議」


長田弘さんの「一瞬」の豊かさを、静かに浴びるような読書。わたしも自分の一瞬を書き出してみようかな、と思う。そう思うだけで、満ち足りた気持ちになってくる。
そして、こんなこと書いている今のことを、いつか特別な一瞬だった、と振り返る時がくるかな、と思う。